人生最後の食べ物は小鰭。

商社員として中国に駐在してる息子が久しぶりに帰ってきたので、今夜は親子三人で下北沢の「小笹寿し」に行った。やはり日本に帰ってくると寿司が食べたくなるものらしい。

「小笹寿し」に初めて行ったのはもう40年前のことである。いまとは少しだけ離れた場所にあって、主は岡田周蔵さんという如何にも江戸っ子らしい頑固親爺だった。岡田さんは気難しいところのある人だったが、いつも一人で鮨を食いに来る若造を気に入ってくれたのか、閉店間際の他に客のいないときなど、昔の鮨職人の仕事を教えてくれたりした。
大衆店とは言えない店だが、酒を飲まなければ1万円札1枚ぐらいでおさまる。当時としても破格に安い店だったが、それはいまでも変わらない。いまは一説には「寿司バブル」だそうで、コースで2〜3万円という店が予約で盛況だというが、いったいどんな人たちが食べているのだろうか。ぼくはそうした店で食べたいとも思わないし、「小笹」の鮨が食べられれば幸せで、日本一の寿司屋だと勝手に決めて疑わない。

北海道で生活しているときも、東京に出張があればたいがいは顔を出していた。そんな調子のつきあいが40年続き、岡田さんは亡くなり、現在の主は弟子だった菊地勉さんである。菊地さんはぼくと同い年なので話もあう。岡田さんの弟子筋としては銀座の「小笹寿し」や桜新町にあった「喜よし」もあるが、ぼくには菊地さんが一番、岡田さんの味を引き継いでいるように思える。


何を食べても旨い寿司屋だが、格別は小鰭で、必ず三貫は食べる。原料が厳選されているのはもちろんだろうが、酢の〆かたも他の店と少し違っているようで、独特の深い味わいがあり、食べるたびにう〜んと唸ってしまう。見た目も美しく、ぼくにとっては宝石のような存在だ。


長年の客なので、菊地さんはぼくの顔を見ると鯵を皮をつけたまましばらく酢に浸してから握ってくれる。近頃はどこの寿司屋も鯵を生のままで出すことが多く、こういう仕事は珍しくなった。「小笹寿し」でも皮のついた鯵を好む客はあまりいないらしい。


きょうは春子があった。鯛の幼魚でその名の通り春先に出回る魚だが、いいものが手に入ったのだろう。昔気質の寿司屋の常で、「小笹寿し」は光りものが実に旨い。小鰭と鯵は通年置いているが、鯖や細魚、春子などは季節のお楽しみである。


蒸し鮑と煮蛤、ともに美味。こうしたいわゆる「仕事をした」寿司がおいしいので、なかなか生魚を握った寿司まで手がまわらない。(それはそれでおいしいのだが。)

実はここしばらく小笹の寿司に恋い焦がれていた(笑)。食べに行きたいのはやまやまだが、
腹水が溜まるなどして寿司を食べに行くほどの食欲がなかった。食べたいけれど食べられないというのはつらいものである。きょうは体調がいいので、息子が帰ってきたこともあり、下北沢まで〝遠出〟したわけだ。
健康なときほどではないにせよ、それに近い量をおいしく食べることができた。いつか病状が進んでものが食べられなくなる日が来たら、タクシーで「小笹寿し」に乗りつけ、一貫でも二貫でもいいから最後に小鰭を食べるつもりでいる。そのときは頼むよ、と言ったら菊地さんは笑っていた。

入ったばかりの女性従業員が寿司屋独特の符丁を間違えたのか、勘定を払ってしばらく歩いてから気がつくと異常に安い。いくら安い店でもこの値段はない。慌てて電話をしてみると1万円違っていたという。次回きたときでいいというので、来週にでもまた食べに来る口実ができた(笑)。

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