2009年11月17日火曜日

日高門別「西陣」のししゃも御膳




日高町(旧門別町富川」の寿司屋「西陣」で、
名物の「ししゃも御膳」を食べた。
まさに“ししゃものフルコース”である。
塩で洗って酢で〆たししゃもの寿司が5貫、
焼いた子持ちししゃもが2尾、
ししゃもの刺身(淡泊な甘みがあって旨い)、
ししゃもの昆布巻き、
さらにししゃもの天麩羅がついて、
(ちょっと鱚の天麩羅に似ている)
1500円というのは
コストパフォーマンス抜群である。


とても美味しかったのだが、実はこの店には単に食事のために立ち寄ったわけではない。
主の中村正晴さんは、
2003年8月の台風10号に伴う沙流川大水害の被害者の一人で、
ダムの放流や樋門操作が不適切だったため被害を拡大した人災だというので国を訴えている。
当時の様子は偶然ダムの勉強会で地元を訪れていたカメラマンによってビデオに記録されていて、
ぼくもその映像を見たが、
本流から逆流した濁水(ダムに溜まっていた大量のヘドロを含む)が家々に襲いかかり、惨憺たるものだ。
深夜に複数のサイレンが交錯して響き渡り、
防災無線が「ダム決壊の恐れが出てきたので住民は高台に避難して下さい」と呼びかける様は凄まじい。
(ダムを管理する北海道開発局は、決壊の恐れがあったことを否定している。)
中村さんは「二風谷ダムができてから水害が増えた。以前はこんなことはなかった」という。
富川では多くの人が異口同音にそう言うので、地元の実感としてはまさしくその通りなのだろう。
実は、ダムができる遥か以前、
1976年に平取町が研究者に依頼して作った調査報告書では、
「二風谷ダムの建設は治水計画を無視した危険きわまりない利水ダムといわざるを得ない」と
はっきり指摘されているのである。
ダムの本来の目的だった(と言い切ってもいいだろう)利水、
つまり苫小牧東部工業基地への工業用水供給計画が破綻しても建設が強行され、
その結果が「違法」で「危険」ですらあるダムがひとつ残ったというのではやりきれない。

それにしても。
「ししゃも御膳」は美味しかった…

2009年11月15日日曜日

東京の休日は…


きのう北海道取材から帰ってきて、
きょうは久しぶりに東京で休日を過ごす。
天気がいいので、
午前中は洗濯や観葉植物の水やりをして、
午後、かみさんと買物に出かける。
部屋に飾るつもりで
大きめの観葉植物の鉢を捜しに行ったのだが、
季節柄、
どこにいっても
クリスマス・ツリーが並んでいるばかり。
目的のものは見つからないし、
街は大変な人出で、
雑踏のなかを右往左往しているうちに
ぼくもかみさんもすっかり疲れてしまった。

釧路にいるときは本当にのんびりできるのに、
東京だと休日でも疲れるばっかりだね、というのは自称「街っ子」のかみさんの弁である。
結局、何も買わないで帰るハメになった。
ぼくはちょっとばかり片づけておきたい雑用があったので会社に出たが、
原宿駅がほとんど身動きできないほどの混雑で(七五三のためだろうか?)ますます疲れ果ててしまった。
北海道で仕事をしているときより、東京で休んでいるときの方が疲れるのだから何をか言わんや。
明日からは、また北海道ロケである。

2009年11月12日木曜日

写経・のようなもの

釧路(羅臼)から帰ってきて、中一日で北海道にとって返し、現在札幌で取材中。
あすは安平から再び平取(日高)に入る予定だ。
今回は、沙流川総合開発計画(二風谷ダム&平取ダム)の、
高度経済成長の時代に立案され、最近工事が「凍結」されるまでの40年間の歴史を検証しようという企画。
2月放送で60分番組の予定だが、材料がふんだんにあるので90分にグレードアップするかもしれない。
(視聴者にとっては60分のほうが見やすいはずで、ちょっと考えどころだ。)

ぼくの仕事の“流儀”は、可能な限り取材の「量」を稼ごうというもので、それは今回も変わらない。
特に心がけているのは、
その当時のリアルタイムの映像やインタビュー、あるいは報告書や議事録など、
残されている一次資料を丹念にあたるところから40年という歳月の紆余曲折を見つめようということだ。
映像については、ぼく自身が20年前から10年前まで撮影=記録を続けていたので材料には事欠かない。
だから、取材の主眼は、
過去の報告書や、ダム問題について有識者と地元代表らで議論したときの議事録ということになる。

普通であれば残された資料を全部コピーしてから読み込んで、
ポイントをマーカーでチェックしていくということになるのだろう。
しかし、ぼくは、こういう場合、
資料を読んで重要だと思うところを逐一パソコンに書き写していくという方法をとる。
漢字や仮名遣いも原文のまま、一字一句違えずに打ち込んでいく。
当然膨大な手間がかかるし、仕事の進め方として決して合理的とはいえないだろう。
だが、「書き写す」という一見ムダなことを積み重ねていると、
それによって事態が腑に落ちるというか、何かしら見えてくるものがあるものだ。
ただ読むだけなら読み飛ばしてしまいそうな、“言葉の奥にあるもの”が見えてくる。
それは、人が「写経」をすることの意味とどこか似かよっているのかもしれない。

昼間は人と会って、夜に宿に戻ってから資料を読んで書き写していく仕事をする。
当然素面ではないから(笑)、やっているうちに意識を失ったりもする。
今回はすべてが雪に覆われないうちに撮影をしたいというので既にロケを始めているが、
できるならば、こうした事態を読み込んでいく作業にもっと徹底して時間をかけたい。
きょう1970年代に書かれた分厚い報告書を借りてきたので、これから何日がかりで読んで要点を書き抜く。
沙流川のダム計画について学術的に調べた、おそらくは最も古い報告書である。
ダムができたらどういう事態が予測されるのか、
ダムが短期間のうちに堆砂で埋まってしまう可能性が強いことなどが指摘されている。
いま明らかになっている問題点のほとんどは、この時点ですでに認識されているのではないか。
だとすれば、なぜダム計画はその後30年以上も止まらなかったのか、それがポイントになるはずだ。

2009年11月7日土曜日

医療シンポジウム in 羅臼

羅臼町で行われた地域医療についてのシンポジウムに、
コーディネーター(…というとエラそうだが、要は司会者である)として出席した。
基調講演は岩手県の藤沢町民病院・佐藤元美先生にお願いした。
(この点については、ぼくが実質的にコーディネートしたものだ。)
佐藤先生の話は、いつもながら解りやすく、それでいて深く考えさせるものだった。

人口一万弱の藤沢町に新設した病院の院長として着任してから15年あまり、
佐藤先生は、行政や住民とほどよい緊張関係を保ちながら協力をして、
現在の福祉=医療連携のモデルケースともいうべき“藤沢方式”を築き上げてこられた。
(*ぼくは4月8日13日の日記で藤沢町の取り組みについて書かせていただいている。)
一歩間違えば不毛な対立に陥りかねないところを粘り強く説得して、
云わば「敵」(にまわったかもしれない人たち)を「味方」に変えてきたのである。
いつも飄々としておられるが、そのあたりのしたたかさは凄い。
そして、小さな過疎の町で黒字経営を続け、町に「お金を貸している」というのだから驚く。
羅臼のみならず、“医療崩壊”に苦しむ全国の自治体(地域住民)にとって、
藤沢町は荒海の彼方に見える希望の灯のような存在だろう。
それだけのことをやってのけながら(当然、大変なハードワークだろうに)、
心の余裕を失わないでいらっしゃるのがつくづく凄い。
きょうの講演でも、
自慢の写真の数々(先生は写真マニアで、とりわけ一本の「鉄橋」を偏愛している)を聴衆に示しながら、
随所で笑いをとっておられた。

ぼくは去年も羅臼でのシンポジウムの司会を務めさせていただいた。
そのときはパネリストのほとんどが知人(というか、取材先)で、
お話のポイントがあらかじめ手の内に入っていたから、司会をするにも楽だった。
今年は、あまりよく知らない方ばかりだったので、
話の転がる先が見えず、内心かなり大変な思いをした。
展開が苦しくなると佐藤先生に話を振って、助けていただきながら、どうにか切り抜けたのである。
この場を借りて感謝したい。
そして、ぼくがシンポジウムに出席しているあいだ宿で待っていた妻のもとに、
羅臼町役場の方がタラバガニを半身と朝に獲れたてのイカの刺身を差し入れて下さった。
そのお心遣いにも深謝。
      

2009年11月6日金曜日

誕生日は毛ガニで。


明日は
知床の羅臼町で
地域医療をテーマにした
シンポジウムの司会をすることになっており、
朝のANAで釧路に飛ぶ。
きょうがウン回目の誕生日の妻を同道した。
釧路に到着して
さっそく蕎麦の「玉川庵」で昼食をとる。
この店の蕎麦は太打ちで腰が強く、美味しい。
しかし、
この店でのお目当てはもりそばではない。




牡蛎蕎麦…
普段はもりそばしか食べないぼくが、
唯一愉しみにしている「温かい蕎麦」が
玉川庵の牡蛎蕎麦である。
厚岸産の大ぶりな牡蛎が
惜しげもなく入っていて実に旨い。
蕎麦がいいのは当然だが、
ぷるんぷるんの牡蛎が美味しく、
牡蛎の旨みが滲み出したつゆがまた絶品。





昼食後は
和商市場に寄って
夕餉のおかずを買って帰る。
年に一度の妻の誕生日だから、
奮発して大ぶりの毛ガニを一パイ求める。
我が家がいつも魚を買う丸栄田村商店では、
店頭には並べていないが、
注文すれば茹でたての蟹を売ってくれる。
蟹は獲れたてのものをできるだけ早く茹で、
茹でてから時間を置かずに食べるに限る。
かなり大きな蟹で一パイがウン千円したが、
身が詰まっていてとても美味しかった。

そして、
ちょうどいまが旬の柳葉魚。
柳葉魚は
この季節ならではの生干しが一番旨い。
本州で出回っている
カラフトシシャモはもちろんのこと、
北海道のホンモノの柳葉魚でも
カラカラに乾いたものとはまるで風味が違う。
身の味は♂の方がいいので、
我が家では専ら♂ばかりを買ってくる。

釧路の秋は味覚のうえでも最高である。
妻もぼくも大いに満足をした。

2009年11月1日日曜日

“人間バキューム”



きょうから平取ロケ。
千歳空港で
チャーターしたタクシーに迎えてもらって、
平取まで1時間ちょっと。
ちょうど昼食の時間なので、
地元の老舗「藤そば」に入る。

この店の蕎麦は
手打ちの田舎蕎麦系で、
そば粉は十勝の音更産を使っている。
20年前にこのあたりでロケをした時には、
ほぼ毎日のように、
この店でざるそばを食べていたものだ。

この店は藤原さん一家が経営していることから「藤そば」で、平取の本店を継いだのは弟さんである。
お兄さんは札幌の中心部に、やはり「藤そば」という名前で店を出していた。
札幌の店では夜は刺身や昆布〆などの肴を揃えていて、
日本酒で一杯やってから蕎麦で仕上げ、というのがぼくの倣いだった。
札幌は主の藤原さんが老いて蕎麦を打てなくなったというので店を閉めてしまったが、
平取の方は健在である(弟さんの息子が当主として頑張っているようだ)。
値段はちょっと高くなってしまったが(一枚700円)、
腰と香りのある蕎麦は相変わらずおいしく、ぼくは調子に乗って三枚食べてしまった。
10年あまり前、
今回の番組の主人公でもある二風谷の貝澤耕一さんらと一緒に旅をしていて、
新得の蕎麦屋で食事をとった時に、
同行者(カナダから来たインディアンなど)がみんな黙ってぼくの方を注視しているのに気がついた。
耕一さんが「あいつは『人間バキューム』で面白いから見ておいで」と話していたのである。
国際的な奇人変人(?)のように言われても困るのだが、
そう言われてもしょうがないほどぼくは蕎麦が好きで、なおかつ食べるのが早い。
三枚くらいの蕎麦はあっというまにたいらげてしまう。
…すっかり満足をした蕎麦腹を抱えて、来春に植林するための苗の手入れに忙しい耕一さん宅を訪れた。

2009年10月29日木曜日

旭川「穂の香」の新そば


ロケで通っている永山(旭川市)にある
JAあさひかわ直営の蕎麦屋「穂の香」で
特盛そば(680円)を食べた。
この蕎麦屋では、
地元江丹別産のそば粉を使っていて、
既に今年収穫された新そばになっている。

「穂の香」の蕎麦は、
そば粉8割のいわゆる「二八そば」で、
パートのおばちゃんが茹でている。
「手打ち」でもないようだから、
レシピ(?)でいえば平々凡々たるものだ。
それでも旨いのは、
ひとえにそば粉のパワーだろう。
食べ終わった後に鼻腔の奥に蕎麦の香りが残る。
それが醍醐味で、特盛を食べてもまだ食べ足りないような気にさせられる。
蕎麦好きには堪らない季節になってきた。

2009年10月28日水曜日

北海道、北海道、北海道…


きょうは5時30分に家を出て、
7時30分のJALで旭川に飛ぶ。
空港から高速を北に走って剣淵町へ。
“こだわりの豆農家”、
鈴木一男さんの黒大豆収穫の様子を撮影する。
山を切り崩して作った広大な畑からは、
およそ百俵の黒大豆が収穫でき、
そのうち八十俵が
ぼくが企業再生の様子を追っかけて撮っている
旭川の藤六食品に送られることとなる。
“こだわりの豆”は、12月1日、
藤六食品の事業譲渡のタイミングに併せて、
装いも新たなパッケージで
新商品として発売される予定だ。

今回は30日までロケで、
いったん東京に帰り、
11月1日から今度は平取町にロケにでる。
3日間のロケが終わった後も
ぼくは取材のため北海道に居残り、
5日に東京に帰ってくる。
そして、翌6日からは、妻も一緒に釧路へ。
7日は羅臼で医療シンポジウムの司会を務め、
9日にまた東京。
11日から再び平取など北海道取材で、
14日からスタッフが合流して再びロケ…。

これでは、ほとんど「北海道に単身赴任」状態である。
今年も、北海道滞在が100日を超えることになりそうだ。

2009年10月27日火曜日

Photo Diaryを更新しました。

Photo Diaryのページを更新、
「平取ダムへの道」(10.24)をアップしました。
着工が凍結されることになった北海道の平取ダム(沙流川)の現地ルポです。

2009年10月24日土曜日

平取ダムへ


きのうの夕方、二風谷(にぶたに)に入った。
アイヌの人たちが多く暮らしている里で、
北海道在勤のときに通い詰めていたところだ。
きょうは貝澤耕一さん(64)に会いにいく。
父・正さんの遺志を引き継いでダムと戦い、
二風谷ダム裁判の原告となった人である。
萱野茂さんが亡くなったいま、
地元ではただ一人の公然たる「反ダム」派だ。
建設が凍結された平取ダムに関しては、
水没地周辺の
「アイヌ文化環境」の調査にあたってきた。
午前中はここ数年の動きについて話を聞き、
「蕎麦好房 みつづか」という店に昼食にいく。
趣味の蕎麦打ちが高じて
定年後に蕎麦屋を開業したという店で、
主は耕一さんの友人。
蕎麦粉はすべて耕一さんが栽培したものだ。
腰がとても強い蕎麦で、香りもなかなかいい。

午後は耕一さんの奥さん・美和子さんに
軽トラに乗せてもらって平取ダムの予定地へ。

途中、ペナコリのダム管理橋からみると、
ダムが砂に埋まりつつあることが一目瞭然でわかる。
冬に向かって湛水量を増やしている時期でこれだから、
夏場はほとんど「広場」だったことだろう。
ダムの建設にあたった北海道開発局の
100年分の堆砂予想量をわずか5年で超えてしまった。

もともと沙流川は
「沙(すな)」が「流」れる川と書くくらいで、
「ダムが砂に埋まる」という今日の事態は地元のアイヌや有識者が以前から指摘していたことである。
そうした意見を否定してダムの建設を強行した挙句がこのざまだが、
開発局では洪水など想定外の悪条件が重なったとして計画堆砂量を引きあげただけで、
当時の責任者が処罰されるわけでもない(もっとも、もう定年になっているだろうが…)。
お役所の無責任さをまざまざと見せつけられた思いである。

平取ダムの建設が予定されている額平川流域は美しいところで、
チノミシリ(アイヌ語で「我ら・祈る・ところ」の意)と呼ばれる礼拝対象の場所が点在する。
その様子はあらためてPhoto Diaryに書くことにしよう。

2009年10月21日水曜日

新しいDALIのスピーカー

我が家はいま“プチ改装”のまっただなかである。
もともと5年前にマンションを買ったとき、
頭金やらなんやかやで資金を使い尽くし、
(もともとぼくには貯金が一銭もなかった…)
内装や家財道具までは目がいき届かなかった。
それが5年経って、
当時買ったソファが、
表面は擦り切れ、クッションはへしゃげ、
買い直さなければならなくなったところから
“プチ改装”計画が始動したのである。
ソファを買い替えた妻は、
今度は部屋の照明を一新したいと言い出した。
なにせ我が家には専属の「匠」がいるので、
(妻の妹の亭主は気鋭の建築家である)
図々しく頼み込んで
リビングの照明をデザインしてもらったわけだ。

さすがにプロのデザインとあって、
テレビの陰に照明を設置して壁を照らし出し、間接照明の効果を活かそうなどは見事なものだ。
しかし、照明がいいものになりそうだとなると、
今度は他の家財のデザインに一貫性がないのが気になり始める。
オーディオ好きのぼくはテレビの横に「yoshii 9」という筒型のスピーカーを設置していたのだが、
その武骨なデザインが部屋に合わないと妻のブーイングが激しくなった。
そこで、改めて黒いピアノ塗装のトールボーイ型スピーカー「DALI Tower」を購入することにして、
新宿ヨドバシカメラで「価格.com」の情報をちらつかせながら値切りに値切って買ったのがきょう届いた。
写真でテレビの傍らに設置してあるのがそれで、確かに部屋の雰囲気にとてもマッチしているようだ。

いままで使っていたyoshii 9はアンプ一体型のスピーカーだったので、今度は別途アンプが必要になる。
そこで釧路の自宅で使っていたAccuphaseのe406を東京に持ってきて使うことにした。
(ついでにCDプレイヤーも釧路で使っていたmarantzを一緒に送った。)
e406はもう15年も前のアンプだが、当時38万円くらいしたもので、
こーゆーことに金を使っていたから貯金がまるでなかったというオチになるのだが…(汗)。

DALIはデンマーク製のスピーカーで、デザインは如何にも北欧らしい洗練されたものだ。
肝心の音は、徒にhi-fiを追求せず、音楽の芯をがっちり掴んで伝えるというタイプ。
大好きだったALTECや釧路で鳴らしているTANNOYとも一脈通じる、ぼく好みのスピーカーである。
Accuphaseのアンプの色づけを排した端正さとは、性格が違うだけに、却って相性がよさそうな気がする。
まだまだエージングはこれからなのだが、
我が家で酒を飲む愉しみがちょっとばかり増えた気がする。

2009年10月20日火曜日

ライフワークの“続編”

ちょっと気合いを入れて企画をいくつか書いて、自分の仕事を次回作、次々回作まで決めた。
次回作は、
先日の「社長たちの決断」を追加取材を入れて再構成した総合TVの年末特集(12月25日放送)。
次々回作は、
民主党政権になって着工凍結が決まった北海道の平取ダムの問題を取り上げる(来年2月放送予定)。
またしても北海道ネタなので忸怩たるものはあるが、
ぼく自身が延々追ってきたテーマなので、これはやむを得ない(…と自分を納得させている)。

平取ダムは、
下流に既に完成している二風谷ダムとあわせ、「沙流川総合開発計画」の中核をなすダムだ。
高度経済成長の時代、
新全総で構想されていた「苫小牧東部工業地帯」に工業用水を供給するために計画された。
しかし、苫小牧東部工業地帯(苫東)計画は
オイルショックの影響もあって頓挫し、工業用水の必要はなくなった。
それでも止まらないのが「日本の公共事業」で、
二つのダムは治水などの「多目的ダム」と名目を変えて建設が推し進められてきたのである。
ぼくがこのテーマに関わり始めたのはいまから21年前の1988年12月で、
二風谷ダムに土地の売渡しを拒んでいた二人のアイヌ、
貝澤正さんと萱野茂さん(後に参議院議員)に対して土地の強制収用が決まる直前だった。
二人は土地が強制収用されても一歩も退かず、徹底的に戦った。
1992年に貝澤正さんが亡くなると、
ダムとの戦いは長男の耕一さんが引き継ぎ、やがて法廷の場に持ち込まれる。
ぼくは途中釧路に転勤した時期を挟んで、
アイヌを「先住民族」として認め
二風谷ダム建設を「違法」とする歴史的な判決(1997年)が出るまで、
このテーマを執念深く追い続けた(なんやかやで8〜9本の番組を作ったと思う)。
云わば、我が北海道時代の「ライフワーク」のようなものだった。

平取ダムは、
二風谷ダムが「違法」とされても、
「洪水調節のためには二風谷ダムだけでは不充分」だとの理由で建設が続行されたものである。
もっとも、まだ本体の工事には入っていない。
八ッ場ダムや、日本の多くの公共事業に共通することだが、
工費は膨れ上がる一方で、本当に必要な事業なのか、疑念もまた膨れ上がるばかりであった。
来年度から本体工事に入る予定だったが、
今回工事が凍結され、どうやら事業中止にまで至りそうな雲行きである。
そして、その間に、二風谷ダムは想定を遙かに上まわる速度で堆砂に埋もれつつある。
このままでは、
かつての清流・沙流川に、
裁判で「違法」とされ(国が控訴しなかったため、この判決は確定している)、
そのうえ砂に埋もれてしまった役に立たないダムがひとつ残るだけの話になってしまう。
何という徒労、何という愚かしさ…。

ぼくは1998年に管理職として旭川に転勤し、2000年からは活動の舞台を東京に移した。
そのため、いつのまにかこの問題から遠ざかってしまっていた。
(判決が「違法」で決着したため、その後の展開を見いだせなかったこともある。)
かつてあれほど通った二風谷だが、
東京に転勤して以来、萱野さんが亡くなったときを除いて訪れることはなかった。
それが今回また腰を据えてこの里に通うことになりそうだ。
旭川取材(「社長たちの決断」の続編)とあわせ、
今週の木曜日から11月いっぱいまで、また北海道に通い詰める日々が始まることになる。
平取ダムの番組には、
かつて10年にわたって撮り溜めた二風谷ダム関連の映像もふんだんに使うつもりだ。
10年の歳月を経て「ライフワークの続編」を作る機会を得たことは、
ドキュメンタリーの作り手(=記録者)として、とても恵まれたことだと思う。

2009年10月18日日曜日

Photo Diaryを更新しました。






きょうは日曜日。
半日がかりでPhoto Diaryのコーナーを更新、
先日の春国岱散策(10月12日)のページを作った。

BiND3は凝ったレイアウトのWebを自在に作れるいいソフトだが、
さすがに相応の手間がかかるので、
いつも気軽に更新というわけにはいかないようだ。
このBloggerをベースにしながら、
今後とも折りをみて
写真を中心にしたページをアップすることにしよう。

2009年10月14日水曜日

Photo Diaryを作りました。



ホームページにPhoto Diaryを追加した。

このGoogle Bloggerは更新が簡単でとても便利なのだが、
写真を自由にレイアウトできない。
また、
パソコンによってレイアウトがずれてしまうので、
凝り性のぼくにはちょっと物足りないところがあるのだ。
そこで、写真が多いときには、
先日導入したBiND3を使って別途日記を書くことにした。
とりあえず、釧路の写真で1ページ起ち上げた。
近日中に、春国岱で撮った写真もまとめるつもり。
見て下さい。


写真をふんだんに使ったので、
大丈夫だとは思いますが、
接続環境によってはいくぶん重いかもしれません。

2009年10月12日月曜日

春国岱を歩く

きょうは一年ぶりに春国岱を歩いた。
バスで春国岱の入り口(東梅)まで行けるので、
そのつもりだったのだが、
祝日なのでバスが二便しかないことが判明。
急きょ、JR花咲線に乗ることにした。
根室駅から東梅までは、
駅前で土産物店を営む旧友の佐々木弘往さんが、
わざわざ店番にお兄さんを呼び出してまで
車で送ってくれた。
深謝。

春国岱は先日の台風で倒れた木が多く、
荒廃が進んでいる。
変わり続ける景観を記録しているようなものだ。
秋はいい季節だし天気もよかったので、
日没まで4時間ほど歩いて百枚の写真を撮った。

夜は松尾武芳さんの民宿「風蓮」に泊まる。
この宿の食事は、素朴な手料理だが、いつもながらとても美味しい。
佐々木さんにいただいた「ねむろっ子」(猫足昆布を原料に作った本格焼酎でなかなか旨い)を飲んで、
吹きっさらしの原野を歩きまわった疲れもあったのだろうか、爆睡してしまった。