2016年12月30日金曜日

イタリアンは釧路に限る?

28日、11:20のANAで釧路に帰ってきた。
機体整備のトラブルで出発が遅れはしたが、
離陸すると空港の向こうに雪をかぶった富士山がくっきり見えた。

よく晴れて富士山が見えた日には、ちょっとだけ東京が好きになる。

釧路に帰ると今年は例年にない雪で、
我が家の玄関にたどり着くのに
膝上まで積もった雪をラッセルするはめになった。
大慌てで除雪し、玄関までの道をつけたが、大汗をかいてしまった。
ここ数年、釧路で新しい年を迎えるのが我が家の習わしだが、
こうなるとなかなか「ゆるくない」のである。


夕方のANAで、ひと足遅れてかみさんがやってきた。
空港からのバスを「十字街7丁目」のバス停で降りての待ち合わせ。
停留所のすぐそばにある「Zuppa」なるイタリアンでの夕食である。
この店は何時頃からあるのだろうか、
ぼくは今年になってから偶然前を通りかかって店の存在を知った。
表に地元釧路周辺の海産物や肉を使ったメニューが表示されており、
なんとも気になる店だった。
前回釧路に帰ってきたときにランチを食べて、
おいしかったので、かみさんが来る28日夜の予約を入れておいた。

結論から言えば大正解であった。
前菜の盛り合わせを注文して、シチリアのシャルドネを1本開ける。
パスタは、地元仙鳳址(釧路町)産の
牡蛎、ムール貝、あさりをたっぷりと使ったスパゲッティ。

写真のこれは一人前を半分に分けたもの(で、このボリューム)。
メインはマガレイのアクアパッツァ(これも一人前の半分)。
もう一品、隣町白糠産のエゾシカのロースト(これも半分!)

ともかく、地元産の食材を活かした料理の美味しいこと。
量も驚くほどにふんだんで、値段も安い。
(他にモンテプルチアーノを一杯飲んで、二人で11400円だった。)

我が家は夫婦ともにイタリア料理が大好きで、
今年はぼくの定年旅行でイタリアを訪れたほどだ。
かみさんいわく、Zuppaは「イタリアで食べるより美味しい!」。
…一度しかイタリア行ったことないくせに、よぉ言うわ(笑)。
でも、海産物、特に生ものの処理は日本の方が優れているのは確かで、
ま、かみさんの言い分に一理ないわけでもない。
「Zuppa」のマスターがどんなキャリアの人なのかぼくは知らないが、
きちんと料理ができる人が
食材が豊富で家賃の安い田舎町で開業すれば、
東京などより遙かにコスパのいい店ができるだろうことは想像に難くない。
この店には、
また二人で(あるいは息子も一緒に)訪れることになるだろう。
こういう店に出会うと、
田舎町で過ごす幸せをしみじみ噛みしめることになる。



2016年12月11日日曜日

オルガニスト・鈴木一浩さんのライブ

旧知のオルガニスト・鈴木一浩さんからご案内をいただいて、
鈴木さんがトリオで演奏するライブを聴きに行った。
会場は沼袋駅北口にある「OrganJazz倶楽部」。
鈴木さんによれば、
「ビンテージハモンドB3オルガンのサウンドが聴ける
 都内でも唯一のライブハウス」である。
そう言われても、門外漢のぼくにはピンと来ないのだが…。 
沼袋は全く土地鑑のないところなので、
地図を見ながら中野駅からおよそ20分歩いていった。


鈴木さんは年に一度、
この「OrganJazz倶楽部」でライブを行なっている。
いつもはベースが入ったカルテットで演奏するのが、
今年はベーシストが怪我をしているのでトリオになったという。
ぼくが店に着いたのは開演の30分ほど前だったが、
すでにほとんど満席の状態で、
カウンターの片隅にどうにか空きを見つけて滑り込んだ。
よくみると店を埋めたお客の3/4ほどが女性で、
鈴木さんのライブの常連らしい人がほとんどだった。
おっさん、モテるやないけ…とむらむらと嫉妬の炎を燃やす。

ぼくが鈴木さんを知ったのはオルガニストとしてではない。
鈴木さんの表の顔だか裏の顔だかは知らないが、
釧路にある「丸善木材」という会社の副社長である。
縁があって鈴木さんの会社にお願いをした。
そのときの出来上がりがとても気に入ったので、
今年、築21年の家の外装をリニューアルするにあたって、
まず鈴木さんに相談をした。
鈴木さんが提案してくれたのが
焼き焦がしたカラマツ材を一面に張るというもので、
本業(?)の建築の面でも、とてもセンスのいい人である。
そういう鈴木さんとのつきあいのなかで、
彼がプロのオルガニストであることを知った。
ご本人からCDをいただいて聴いた。


もともとぼくはジャズが好きで、
アーシーなオルガン・ジャズが好きだった。
もっともぼくが好んで聴いたのは、
ジミー・スミスやベイビー・フェイス・ウィレットで、
オーソドックスな4ビートが中心。
ギターのグラント・グリーンや、
サックスのジーン・アモンズ、
エディ・ロックジョー・デイヴィスなどと組んだ、
日本でいうならド演歌みたいな泥臭いジャズが好みだった。
鈴木さんは、
フュージョンというのか、ファンクというのか、
ロックの洗練を受けた後のジャズで、もっとモダンである。


ライブでの演奏は実に素晴らしいものだった。
オリジナルとスタンダードを組み合わせた構成で、
ファンキーなナンバーからバラード、
マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」、
さらにはビートルズの「ヘイ・ジュード」まで。
鈴木さんはもちろん、
テナー&ソプラノサックスの安川信彦さんの熱っぽいブロウ、
大槻敏彦さんの奔放自在なドラミングに唸る。
演奏するにつれてトリオの息が合ってくるのか、
だんだんよく鳴る法華の太鼓で、目が(耳が)離せなくなった。
こうなると、聴いている側もだんだんヒートアップしてくる。
ミュージシャンとリスナーが一体になった、
小さなライブハウスならではの至福の時間が訪れた。


鈴木さんは6年後の還暦記念ライブもここで行ないたいと言った。
してみると、おっさん、ぼくより6つも若かったのか…。

ライブの余熱を楽しむように、風に吹かれて中野まで歩いた。


少し飲み足りなかったので「ぢどり屋」なる店で焼酎を一杯。
文字通り一杯だけ飲んで、帰る。
いい夜だった。


2016年12月6日火曜日

週末は紅葉三昧だった。

先週、釧路から戻ってくると
東京は紅葉の盛りを迎えていた。
現役を離れても相変わらず旅が多い生活をしているので、
桜や紅葉など一年に何度も異なる場所で楽しめるのがいい。
ぼくが住んでいる荻窪界隈には大田黒公園という紅葉の名所がある。
我が家から歩いて20分くらいのところである。


元はと言えば音楽評論家・大田黒元雄の別邸に造られた日本庭園で、
現在は杉並区の区立公園になっている。
紅葉の盛りには夜のライトアップも行なっている。
(2010年にこのブログでも紹介をしたことがある。)
週末は三日連続でこの大田黒公園に紅葉を撮影に行った。


初日(2日)は病院帰りに下見を兼ねて行ってみた。
カメラはOlympus OM-D E-M5Ⅱで
レンズはNokton25mm(50mm相当の標準レンズ)である。
ちょうどライトアップ中だということもわかったので、
翌日、3日の土曜日に出直してきた。
カメラは同じOlympus、
レンズはNoktonに加えて、
広角のProminar(24mm相当)、
Sigmaの望遠(120mm相当)の3本を持参した。


まず日没前の斜光のなか、Sigmaで撮影。
このレンズの写りはとても好きだな。


こちらは日が陰ってからNoktonで撮ったもの。
今年はもみじでも紅葉より黄葉の方が目立つ気がする。


NoktonはF値が0.95というめちゃくちゃ明るいレンズなので、
ISOを400〜800にして
Olympus自慢の手ぶれ補正をかければ、
ライトアップされた紅葉を手持ちで充分撮影できる。


撮影はライトアップが始まって15〜20分が勝負。
空に青みが残っているうちに撮りたいからだ。
池に映った紅葉を狙ってみた。
ProminarもF値1.8と明るく、
広角ということもあってこれも手持ちでOK。
もともとぼくは三脚は使わない主義だし、
大田黒公園は混雑もあって三脚の使用は禁止されている。


三日目の日曜もライトアップを撮りに出かけた。
これは自分のためというより、
最近、Olympusのカメラを買った
超初心者の妻の世話役兼指導係を務めるためだ。
そのため、レンズはNoktonだけにした。


撮影を前に妻のカメラを設定してやる。
手ぶれしないようISOを6400にして絞りは2.8開放に固定。
構図のとりかた、光の見方までアドバイスする。
超初心者の面倒を見るのはなかなか大変である。
それでも、自分でも気に入った何枚かの写真が撮れた。



2016年11月30日水曜日

夕焼け日記

11月18日に釧路に帰ってきて、
相変わらず毎日のように夕日の写真を撮っていた。


11月20日の夕暮れは、淡いパステル画のような色調だった。


それが、陽が沈んでいくにつれて色彩感を増してきた。


同じ日の残照。
太陽が沈んだ後、
空の色が少しずつ変化していくさまに見惚れる。

晩秋の釧路は日ごとに空気の透明感を増していく。
寒く冷え込んだ日の黄昏はひときわ烈しく燃え、
暖かい日はどこかぼんやりした穏やかな夕日になる。
雲の表情も日によって違うので、飽きない。
思えば、釧路の夕日を好んで撮るようになってから、
もう35年の歳月が過ぎていった。
別の街で仕事をしていた時期が長いので、
いまのように連日、夕日を撮っていたわけではないが…。


11月23日の夕焼けは茜色に染まった雲がきれいだった。


11月25日は青空が広がった。
地平線に近い雲だけが黄金色に染まっていた。

ここしばらく、
OlympusのOM-D E-M5に
フォクトレンダーや
コーワのレンズを装着して使うことが多かったが、
今回は久しぶりにSigma dp2 Quattroを持ってきた。
Olympusの使いやすさ、軽快さに慣れていたので、
久しぶりに使うと如何にも使いにくい。
照明条件によっては液晶画面がほとんど見えないから、
水平や構図など細かいところは現像で修正することにして、
おおよその山勘に頼って撮るしかない。
現像もシグマ独自のソフトを使うしかなく、
これがまた嫌になるほど動作が鈍重なのである。
しかし、
苦労して撮った写真の仕上がりは他の追随を許さない。
釧路の黄昏どきの色彩感、空気感をこれほどまで濃密に、
鮮烈に表現してくれるカメラをぼくは他に知らない。


11月28日は空が燃えているよな夕焼けだった。
川の対岸が空襲でもされたか、
ゴジラに襲われたかのように見えた。
とてつもなく美しいが、どこか不吉な夕空だった。


きのう(29日)は雲が重く、
雲が切れた地平線のところだけが赤く染まった。
きょうは薄い靄のような雲がかかって
随分ぼんやりとした夕暮れになったので撮影はしなかった。
釧路で2週間を過ごして、明日、東京に戻る。











2016年11月10日木曜日

NHKスペシャル「調査報告 膨らむコスト」

録画しておいたNHKスペシャル
「調査報告 膨らむコスト」(11/6放送)を見た。
福島原発事故をコスト面(補償・除染・廃炉)から検証したもので、
ぼくもよく知っている後輩たちが担当した番組。
内輪褒めとは思われたくないが、大変優れた番組だった。

感心したのは、入手したデータを基に語る実証的な手法である。
この番組は、
事故当時の民主党政権で
官房副長官に就任した仙谷由人氏らが導入した
東京電力を破綻させず公費を投入するというスキームが、
自民党の政権復帰とともに変質していく過程をトレースしている。
当初は混乱を回避し
被害者の救済を迅速に行うための緊急避難的政策だったのが、
いつのまにか
事故を起こした東電の経営支援策にすり替えられていったのである。
東電は毎年、
利益の半分に相当する金額を国に返済するはずだったのが、
実際には経常利益に対する返済金の割合は減っているという。
国は東電に厳しく返済を迫るどころか、
逆に税金と電気料金に上乗せするかたちで国民負担を増やしている。
国民の多くが知らないところで、
公の資金が事故に責任を持つ私企業に注ぎ込まれているのである。
政策目標がいつのまにか
「被害者救済」から「電力会社救済」に変わったのがよく解る。
実に不明朗な、民主主義の原則に悖る話である。
その変質はぼくも感じていたことだが、
番組がデータと証言で明らかにしたことで改めて納得がいった。

番組論として言えば、
エピローグの浪江町津島のシーンは要らないと思った。
ぼくもそうだが、
TVのディレクターは
こうした人間系のエピソードを入れることによって、
視聴者の琴線に触れ「共感」を得ようとする。
しかし、この番組の場合は、
ドライなデータに徹した方がよかったのではないか。
番組が指摘したように、
原発事故のコストを負担するのは、
全国の、それも次世代まで含めたすべての国民である。
そういう意味では、
すべての国民が原発事故の当事者であり、かつ「被害者」だ。
せっかくそこまで指摘しておきながら
ラストに「苦悩する福島の人たち」を登場させたのでは、
「福島の人たち=犠牲者」という
ありがちなイメージに番組が収斂しかねない。
これは理屈ではなく、映像から受ける印象の問題だ。
テレビとは、そうした特質を持つメディアなのである。

さて、ここからしばらくは番組とは直接関係しない話である。
この番組が的確に指摘したように、
原発事故がいったん起きてしまえば、
そのコストは民間企業が負うことができる範囲を遙かに超える。
しかし、その事実は、
福島原発事故があって初めて明らかになったことではない。

アメリカでは原子力発電を実用化するにあたって、
事故が起きた場合の影響やコストを試算した(1957年・WASH740)。
その結果、
原発事故のコストは民間企業では負担しきれないことが判明。
同年、プライス=アンダーソン法を制定し、
一定金額を超えるコストは国家が負担することにして、
原発の建設を促進しようとしたのである。
そうでもしなければ企業は原発に手を出そうとしなかったわけで、
アメリカ政府としては、
米ソ冷戦、核兵器開発との関係で、
事故時のコストを負担してでも原発を推進したい理由があった。
つまり、原子力発電は、
既にそのスタート時点において
経済的にペイしないことが明らかになっていたのである。

原子力発電が日本に導入されるにあたって、
日本では原発と核兵器開発とは切り離されているため、
国家が経済的な負担をしてまで原発を推進すべき理由がなかった。
これはぼくの推論だが、
そのため生み出された「嘘」が
日本では過酷事故は起こらないという
いわゆる「安全神話」だったのではないか。
「事故が起こらない」なら
「事故のコスト」を算定する必要はないからだ。
こうした「嘘」に
「原子力は安上がりのエネルギー」だという
いまとなっては事実に反することが明らかな「嘘」を上塗りして、
日本の原子力開発は推し進められてきたといっていい。

意外に思われるかもしれないが、
NHKスペシャルのなかで
自民党の大島理森氏が苦しげに主張していた、
日本社会は原子力発電を容認してきたのだから
事故のコストもすべての国民が分担すべきだという意見に
ぼくは基本的に賛同する。
もちろん、
不幸にして起こってしまった福島原発事故の後始末の範囲でである。
東電が可能な限りの負担をするのが前提なのは言うまでもない。
また、万一の事故への備えや廃炉に要する費用など、
本来必要なはずのコストをきちんと算定してこなかった
電力会社の経営支援に公費を投入するなどもっての外の話である。

NHKスペシャル「調査報告 膨らむコスト」は、
水面下で進むコストの国民への付け替えという事実を指摘した上で、
情報公開を進め、
負担に関する国民的なコンセンサスの形成を図るべきだと主張する。
そのメッセージに全く異存はない。
しかし、ぼくにはもうひとつ言っておきたいことがある。
「日本の原発では過酷事故は起こらない」だの、
「原発は経済的なエネルギー」だの偽りのキャンペーンを繰り広げ、
言わば国民を欺きながら原発を推進し、
福島原発事故を招いた責任をはっきりさせるべきだと思う。
騙された国民が責任をとって事故処理の費用を負担するのである。
騙した側が無傷で逃げおおせるという法はあるまい。

2016年11月5日土曜日

相変わらず、飽きもせず…

相変わらず、ほぼ毎日、釧路の夕日を撮っている。
昼めしを食べて買物に行くと、
ちょうど帰りに夕日が沈む時間にぶつかる。
この時期は15時30分頃には空が夕焼けに染まる。

 11月1日、よく晴れた(Nokton)

データを見ると、上の写真を撮ったのが15時55分。
東京に比べると1時間ほど日没が早いのではないか。
昔、釧路で仕事をしているときには泣かされた。
15時半に夕焼けでは、外での撮影に使える時間が短すぎるから。

 1日・陽が落ちて川面の残照が美しかった(Nokton)
1日・岸壁の釣り師たち(Nokton)

マイクロフォーサーズ用のレンズとしては、
Sigmaに19mm、30mm、60mmのそれぞれF2.8がある。
35mmフィルムカメラに換算すれば、
38mmの準広角、60mm標準、120mm中望遠のレンズである。
どれも1万円台と安価で、コスパに優れたレンズだ。
120mm相当の中望遠は長いあいだ使ったことのない画角だが、
これも楽しめるレンズである。
カメラを始めた頃(40年近く前になる)
Nikonの135mmを使っていた記憶があるが、
それ以降は85mmとか90mmばかりで、
あらためて120mm相当のレンズを使うとなかなか新鮮である。
Sigmaらしくシャープで鮮明な描写、その一方でボケもきれいだ。

2日・幣舞橋の四季の乙女より「春」(Sigma)
2日・黄昏どきのMOO(Sigma)
4日はどこかぼんやりとした夕陽だった(Sigma)

きょう(5日)は予報通りの雪になった。
夕焼けは全く染まらず、ぼくはのんびりと買物をした。

2016年11月4日金曜日

駆け足で冬がやってきた。

(10月27日の我が家)

北国の冬は駆け足でやってくる。
先月27日に羽田を飛び立ち、
釧路空港に着いたのが午後1時。
そのときの気温が10℃を割り込んでいたので震え上がった。
それから1週間あまり、
あっというまに季節は晩秋から初冬へと移ろっていった。

(10月27日・モミジの終わり)

我が家の玄関の前には4年前に植えたヤマモミジがある。
今年は台風に直撃されるなどして、
紅葉はきれいに染まらないだろうとは思っていた。
ぼくが帰ってきたときには
かろうじて枯れ色になった一群の葉が残っていただけだった。

(10月31日・突風)

秋から冬にかけての釧路はよく晴れた日が続く。
(放射状冷却といって、快晴の日ほど寒くなるのだが。)
今年も晴れた日が続いていたのが、10月31日に崩れた。
朝から小雨混じりの突風が吹き荒れ、外に出る気にもなれなかった。
モミジや裏庭のハルニレ、ヤチダモの葉が一気に散っていった。

11月1日、再び晴れた。
しかし、前回の日記にも書いたように、
すでに手袋がなければ我慢できないほどの寒さになっていた。
いつものように幣舞橋で夕陽の写真を撮ってから、
食材を買うためスーパーマーケットに向かった。
その途中、かつての繁華街・北大通でビルの解体現場を見た。

(11月1日・解体現場)

ここは、ぼくが若い頃は「釧路デパート」という百貨店だった。
百貨店が潰れ、その後、様々なテナントが流転したが、
数年前から空きビルになっていた。
いま釧路では廃ビルや廃屋の解体がやけに目立つ。
衰退する地方都市の典型みたいな街だから、
そうそう新しい土地のニーズがあるとも思えない。
空き地ばかりになってしまうのではないかとちょっと心配だ。

(11月3日・終日雨)

3日、また雨になった。
冷たい雨が降りしきる、寒くて鬱陶しい祝日。
玄関前のヤマモミジは最後の一葉まで散って丸裸になった。
家の周りから緑が急速に消えていく。

(11月4日の我が家)

きょうはよく晴れた。
天気がいいので思わず外に出ると、
風の冷たさはまさに身を切られるほどだった。
気がつけば、
一週間ほどのあいだに風景がまるで変わってしまっている。
一番上の写真と比べてみてほしい。
画面右側のヤチダモなど、葉が完全に枯れ落ちてしまった。
昼めしを食べに行った駅前のラーメン屋で、
「寒くなりましたねえ」とおばちゃんに挨拶される。
朝は0℃近くまで冷え込んだはずだ。
「雪がチラついてましたよ」とおばちゃんはいう。
久しぶりに食べた熱い札幌ラーメンが美味しかった。
「宝龍」というこの店は、ぼくが二十代の頃からあった。
周囲の店が次々になくなるなか、ぽつんと残っている。
ぼくはたぶん、
三十年ぶりぐらいで「宝龍」のラーメンを食べたことになる。

我が家は南側がほぼ全面窓なので、
天気が良ければ温室のようなもので暖かい。
夜になって冷え込んできたのでストーブをつけようとしたら、
きちんと燃えてくれない。
原因は灯油切れで、文字通りの油断だった。
寒くて家にいる気にはなれないので、これから飲みに出るつもり。
思えば、若い頃、下宿していた家が古くて隙間だらけで、
ストーブを点けてもなかなか暖まってくれない。
それで毎晩、飲んで体を内側から温めて帰る癖がつき、
ずいぶん酒に強くなってしまって今日に至る…。
明日は雪になるという予報である。









2016年10月31日月曜日

飽きもせず…

飽きもせず…釧路の夕陽を撮っている。
10月も末になると日ごとに寒さが増して、
それにつれて空気の透明感、鮮烈さも増してくる。
夕陽が美しい季節がやってきた。

27日 釧路港には巻き網漁船が停泊している(Nokton)

今回は愛用のSigma dp2ではなく、
Olympus OM-D E-M5ⅡとNokton25mm、Prominar12mmを持ってきた。
35mmフィルムカメラに換算すれば、標準と広角レンズである。
秋から冬にかけての釧路の鮮烈な空気感を写し取る点では
Sigma dpに及ばないとは思うが、
大変使いやすいカメラであり、表現力のあるレンズだ。
Sigmaほど逆光時のハレーションが出ないのは、
夕陽を撮るときのアドバンテージになる。

28日 秋の雲は表情豊かだ(Nokton)
28日 釣瓶落としの秋の日(Nokton)

木曜日に釧路に帰ってきたのだが、
昼過ぎで気温が10℃を割り込んでいるので震え上がった。
ぼくの場合、
抗がん剤(分子標的剤)の副作用で、
冷たいものに触れたりすると指先が痺れる。
釧路は空気そのものが冷たいのだから、盛大に痺れまくる。
今回は血小板が基準以下に減っていたため、
月曜に予定していた抗がん剤の点滴が火曜にずれ込んだ。
点滴を受けて二日後に晩秋の釧路というのはさすがにキツイ。
それでも、懲りもせず、夕方になると歩いて幣舞橋まで出る。
指の痺れを我慢しながら、毎日違う夕暮れの表情をカメラに収める。

29日 幣舞橋の彼方の沈む夕日(Nokton)
30日 たぶんサンマ棒受け網漁船(Prominar)
30日 残照の釧路川(Prominar)

東京がまだ暖かかったので手袋を持たずにきた。
指先の痺れは点滴後一週間かそこらで消えるはずだが、
それまで我慢できず、amazonに安い革手袋を注文した。




2016年10月21日金曜日

ETV特集「事態を侮らず 過度に恐れず」…明日放送

ぼくがNHKを離れ、
フリーになって最初の番組が明日夜放送される。
もっとも、
放送枠は長く馴れ親しんだ「ETV特集」で、
カメラマンは何人も替わったがよく知っている奴ばかり。
編集はいつもの「ほっちゃん」で、
ナレーターはここ数年、
ぼくの番組のほとんどを担当してくださっている濱中博久先輩。
プロデューサーは仙台時代からの同僚・鶴谷邦顕(さん)なので、
まぁ、あまり代わり映えのしない気分(笑)ではあった。

番組は放射線防護学者の安斎育郎さんら
「福島プロジェクト」の活動を追いかけたもので、
去年春に放送した「終わりなき戦い」の言わば続編である。

放射線防護学者・安斎育郎さん(76)
GPSと結んだ線量計を持って歩きまわり、空間線量を面的に把握する。

去年の秋から撮り始めて一年がかりで作ったものだが、
さすがに「終わりなき戦い・2」というわけにもいかず、
「事態を侮らず 過度に恐れず」と題した。
原発事故と対峙する福島プロジェクトの基本方針、
「事態を侮らず 過度に恐れず 理性的に向き合う」からとった。

飯舘村の除染廃棄物仮々置場での調査風景

ぼくがこの番組で視聴者に知ってほしかったことの第一は、
放射能汚染の「まだら模様」という他ない現実である。
番組を見てくださると解るが、
同じ「福島」といっても放射能汚染は地域によって全く違う。
地上1mで測った空間線量率が
1時間あたり0.1μSvを割り込むような地域、
安斎さんの言葉を借りれば
「京都の自然放射線による被ばくと殆ど変わらない」ところから、
地上1cmで毎時100μSv近い強い汚染を残す地域まで様々である。
それも事故を起こした福島第一原発からの距離に関わりなく、
汚染された場所と殆どされていない場所が混在しているのが厄介だ。
現実は「福島」の一言で一緒くたにできる状態では全くない。

飯舘村。来春に予定される帰還を前に除染作業が進んでいる。

放射線の「危険」を語るにしても、
あるいは逆に「安全」を語るにしても、
「福島」という大括りの主語で語るのでは現実離れした議論になる。
最近、原発事故の「安全」と「危険」に関する論議が、
ひどく大雑把に両極化している気がしてならない。
まず価値判断抜きに現実を客観的に見つめることから始めよう、
という安斎さんらの主張にぼくは強く共感をした。
いくら低線量被ばくの危険性をめぐる空中戦を戦わせていても、
置き去りになるのはそこで暮らす住民たちなのである。
客観的にみれば汚染の少ない地域で生活する人たちですら
どれだけ日々不安に呵まれているかは、
他の地域の人たちの想像を絶するものだろうと思う。
そして、それは、
いくら政府や東電、専門家が「安全」を叫んでも解消はされない。
それだけの不信感を残したのが福島第一原発の事故に他ならないから。

もうひとつ伝えたかったのは、
帰還困難区域など線量がいまなお高い地域に暮らす人々の思いである。
福島第一原発から30km近く離れているにも拘わらず、
強い汚染に晒された浪江町津島。
そこで生活してきた今野秀則さん(68)はぼくのインタビューに答え、
次の言葉を執拗なほどに繰り返した。

「地域の生活の一切合切を奪っていくのが原発事故なんです」

津島はいまも帰還困難区域に指定されたままで、
人が住めるようにする除染計画すら具体化していないのが現実である。
それでも、原発事故の被害は「残存する放射能汚染」だけではない。
例え放射能汚染の問題を早期に解消できたとしても、
二度と元には戻らないものがある。
全国に50基を超える原発を抱えた日本列島の住民、
むしろ福島以外の人たちに一人でも多く見てほしい番組だと思っている。


ETV特集

事態を侮らず  過度に恐れず

〜「福島プロジェクト」の挑戦〜

10月22日(土)夜11時放送 Eテレ





2016年10月20日木曜日

ぼくが鳴子温泉が好きなワケ。

鳴子温泉が好きで、毎年訪れている。
一昨日でNHKから委託されていた仕事が終わったので、
昨日さっそく鳴子温泉を訪ねた。
東鳴子や川渡、中山平を含む鳴子温泉郷こそ、
日本一の温泉郷であると信じて疑わないのである。
その理由は三つある。

一つには、当然のことだが、泉質が素晴らしいこと。
もちろん他にも草津温泉や川湯温泉など
泉質の素晴らしい温泉があるのは百も承知である。
鳴子の凄いところは、宿のほとんどが自家源泉を持ち、
しかもそれが全く泉質が違うという点にある。
以前も書いたが、
公衆浴場の「滝の湯」は強酸性、
隣接する旅館「ゆさや」はアルカリ性、
隣同士で全く泉質が違うというのが凄い。
ぼくが泊まった「東多賀の湯」は弱酸性の白濁した湯。


硫化水素臭にわずかに重油っぽい油臭さが混じる。
それに対して、
きょう入った公衆浴場の「しんとろの湯」は
Ph9.4の強アルカリ性で全身がつるつるになる。
かみさんなら「美人になる」と随喜の涙を流すことだろう。

二つ目は、鳴子特産の米「ゆきむすび」の美味しさ。
低アミロース米というがぼくにはよく解らない。
でも、とにかく粘り気が強く、甘みがある。
とても美味しい米である。
「東多賀の湯」が
自家田で栽培したゆきむすびを宿泊客に譲ってくれるので、
ぼくは毎年、この宿に泊まって米を買っていく。
この米の美味しさに魅入られたかみさんが、
ぼくが一人で温泉に行くのを快く許してくれるのだw

三つ目には、これは季節限定だが、紅葉の美しさ。


JR東日本の観光ポスターでも毎年お馴染の風景でもある。


今回はピークには一週間ほど早かったが、
それでも、ぼくは夢中になって写真を撮った。




一度、紅葉がピークを迎える10月下旬に
宿を替えながら何泊かゆっくり訪れてみたいものだと思う。
現役を離れたから、来年は可能になるだろうか?