がん患者のイタリア漫遊記(4)

朝起きたら、チンクエテッレの海は時化ていた。

(仕事で台風中継をしたときを思い出すほどの荒波だった)

きのう観光客が泳いでいた、同じ海とはとても思えない。これ以上、坂の上り下りはつらいという妻をホテルに残して、ぼくは写真を撮りに出かける。昨夜、断崖の上のカフェテラスから眺めていると、ひとつ向こうの丘に灯が見えた。あそこまで登れば、ぼくらがいる場所を俯瞰できるはずである。迷路のような路地を道に迷いながら登っていく。

(ヴェルナッツァ駅から登ったところで撮影した写真)

かなりの急坂で息が切れるが、坂を登っていくにつれてヴェルナッツァ村の全貌が見え始める。

(昨夜見えていたのはたぶんここだ。定番の撮影ポイントらしい)

岬の突端に見えるのがドーリア城。画面右の防波堤の内側がきのう昼食をとった広場である。
ぼくたちが泊まったホテルは、ドーリア城のすぐ下にある外装工事のため緑のネットが張ってある家の裏あたりか。緑のネットがある家の左下に写っている、画面を拡大すればわかるが白いテーブルが並んでいる場所が昨夜食事をしたカフェテラスである。断崖絶壁の上に造られているのが改めて一目瞭然だ。

丘を下る頃から雨がぽつりぽつりと落ち始めた。ホテルをチェックアウトし、駅で列車を待つ頃にはかなりの降りになった。きょうはチンクエテッレの一番西にあるモンテロッソ村を訪ねるつもりである。この村には「upim」の加藤さんイチ押しのシーフードレストランがある。そこで昼食をとるつもりだった。

しかし、モンテロッソに着く頃には、バケツをひっくり返したような豪雨になった。駅でスーツケースを預けられる場所を探したが見つからない。スーツケースを引きずって雨の中を歩くのは無理な話だ。残念だが、モンテロッソ訪問は諦めることにした。そのまま列車でひとつ先のレヴァントに向かい、そこで列車を乗り換えてジェノヴァへ。列車のキップはこの区間を除いて日本で買い求めてあった。ここは予定が立たないので、現地で買うことにしていたのである。ところが、二つある切符売場にはいずれも先客がいて、これが何だか知らないが話し込んでいて終らない。そうこうするうちに次の列車が来てしまった。雨の中でもう一本待つのもつらいので、車内で精算することにして列車に飛び乗った。
…これが大きな間違いだった。

検札に来た女性車掌にモンテロッソまでの切符を見せ、レヴァントまでだというと108ユーロを請求されたのである。108ユーロは二人分の料金だが、邦貨にすると13000円あまり。ミラノ〜フィレンツェの〝超特急〟が11000円だったから、普通列車の駅ひとつの移動でこんな法外な価格はない。レヴァントに着いて改めてジェノヴァまでの切符を買ったら1669円。やっぱりおかしい。
後でミラノの日本領事館で確かめると、イタリアの鉄道には「精算」のシステムがないので、切符を持たずに乗ると無賃乗車と見なされるとのこと。一駅分二人で8ユーロの運賃に100ユーロの罰金が追加で課せられていたのである。システムを知らなかったこちらが悪いには悪いが、運賃の10倍以上の罰金というのもなあ…。それにジェノヴァ〜ミラノ間は(切符を持っていたが)1時間40分のあいだに一度も検札に来なかった。前にも書いたが、イタリアの鉄道には改札がないので、無賃乗車するつもりなら楽勝だったわけだ。このへんのいい加減さがなんだか悔しい。

ともあれ、ジェノヴァに着いた。コロンブスの生まれ故郷として知られる港町である。ジェノヴァ・ブリニョール駅からホテルまで徒歩で10分もかからないはずである。ところがGoogleMapが指し示す場所まで来ても、それらしいものが見当たらない。

(市内中心部の古風な立体交叉。ホテルはこのそばのはずだが…)

スーツケースを抱えて途方に暮れる東洋人の夫婦を見かねてか、通りすがりの中年の御夫婦が声をかけてくれた。ホテル・ジェノヴァリヴァティと言ったがご存知なかったらしく、御主人がスマホで調べ始めたところに、通りかかった別の女性が「そのホテルならここですよ」と目の前のビルを指さした。ジェノヴァの人は親切である。ホテル・ジェノヴァリヴァティは
古いビルのたぶん3階と4階に間借りしたホテルで、ネオンはもちろん、目立つ看板もないため、すぐ目の前まで来ながら迷っていたわけだ。

(立体交叉の上から撮影。窓にはホテル・ジェノヴァとある)

重厚な木の扉を押し開き、昔の洋画に出てきそうな鉄の檻のようなエレベーターに乗って、
(さすがに手動ではなかったが…)3階に上ると小さなカウンターがあり、タトゥーを入れた若い女性が座っていた。一瞬アブナイ人かな?…と思ったが、このおねえさんが実にフレンドリーかつ親切で、日本語は「こんにちは」と「ありがとう」しか知らないと言いながら、市内の地図をくれて見どころを教えてくれた。旧市街にある年代物の大邸宅の多くが、年に一度だけ観光客に開放され、きょうはその最終日だからあなた方はラッキーだと言う。ちなみに、翌朝のチェックアウト時に対応してくれたのは、革ジャンにちょんまげ、髭を生やしたおにいさんだったが、この人もフレンドリーで、ホテルマンとしては異形ともいえる人たちがかくも親切なのは、リヴァティのリヴァティたる所以だろうか?

部屋に荷物を置いて散歩に出かける。出発前に妻がガイドブックを買った話は前に書いたが、
ぼくたちが訪れた書店にはチンクエテッレやジェノヴァについて書いたものはなかった。日本では観光地としてあまり人気がないのだろう。実際、チンクエテッレはともかくジェノヴァは、観光客はアメリカ人ばかりのように見えた。(コロンブスのご縁だろう。)街では日本人はおろか、中国人らしい人にも会わなかった。

(実際にはミラノやローマに比べても散歩するのが楽しい街だ)

ホテルの前の通りがジェノヴァの目抜き通りで、古風なアーケードの下に今様の商店が並んでいる。妻はMax&Coを見つけて入っていった。息子の彼女へのおみやげを買うはずだったのが、見ているうちに自分のも欲しくなったらしい。試着しては似合うかどうか訊いてくる。最終的に妻が選んだ緑色のドレスは確かに綺麗だし、妻によく似合ってもいるが、こんなんいつ着るねん?…という感じだ。日本にはヨーロッパと違って、友人宅でパーティーなどという文化はない。通勤に着るには少々ドレッシー過ぎるのではないか。二人で近所の焼鳥屋に行くとき着ていくかと訊いたら、たちどころに拒否された(笑)。ともあれ、自分用の緑のドレスと
息子の彼女へのおみやげにしたダウンコートとで合わせて邦貨45000円というところ。免税で6000円余りが還ってくる計算である。ところが、後日、ミラノ・マルペンサ空港の免税窓口に持ち込むと係員ににべなく拒否されてしまった。係員がマーカーで印をつけた免税書類の国籍欄を見ると、なんと「China」と記されていたのである。もちろん日本のパスポートを見せたうえでの手続きであり、住所もはっきり「Tokyo」と書いている。さてはMax&Coのおばちゃん、
日本と中国との区別がつかなかったのではないか。それとも、ブランド品を買う東洋人は中国人だと思い込んでいたのか?いずれにせよ、鉄道の罰金に続いて思わぬ出費になってしまった。もっとも、日本に帰ってからネット通販を調べた妻は、日本で買うと緑のドレスだけで54000円もする、と喜んでいたが。

(通りがまるごと世界遺産になっているガリヴァルディ通り)

商店街からさらに10分ほど歩いたガリヴァルディ通りには、かつての貿易商や銀行家の大邸宅が建ち並んでいる。おりよく開放されているのはこうした邸宅の内部で、古い住宅が好きなぼくは、なるほど世界遺産だなあ…と感嘆する。しかし、もっと面白いのは、このガリヴァルディ通りと港とのあいだに広がる旧市街にクモの巣のように張り巡らされた細い路地である。
GoogleMapにもホテルのおねえさんがくれた地図にもこうした路地の詳細は記入されておらず、
一体どこに抜けるのか皆目見当がつかない。あたかも掘割のないヴェネチアのようで、ぼくはこうした迷路のような道をうろうろするのが好きである。妻が一緒なので、そう闇雲に冒険するわけにもいかないが。

夕食をとったレストラン、Trattoria Vegia Zenaも港に近いこうした路地に面していた。ここも加藤さんのお奨めリストにあった店で、大衆的な気取らない雰囲気で、如何にもおいしそうだ。
気のよさそうなおばちゃんが注文を取りに来る。イタリア語のメニューの下に英語が添えられているので、魚の名前は英和辞典と首っ引きで注文した。甲のないイカと甲イカで英語名が違うのを初めて知った。

(前菜のシーフードの盛り合わせ。大変おいしい)

ともかくスモークサーモンや、同様にスモークされたカジキマグロ、小鰯の酢〆や南蛮漬けなど何の変哲もないものがとてもおいしい。ワインはチンクエテッレの白があったので一本注文した。

(手長エビはイタリア語でscampiだと加藤さんに教わっていた)

エビに目のない妻が手長エビのパスタを注文…ここ数日で一生分の手長エビを食べたのではないか。

(ぼくは御当地名物ジェノヴェーゼのパスタを注文した)

ジェノヴェーゼは正確にはペスト・ジェノヴェーゼ、ジェノヴァ風のペスト・ソースというところだろうか。エクストラ・ヴァージン・オリーブオイルにバジリコの葉、少量のにんにく、松の実、チーズを加えて作る。シンプルだがおいしくて、癖になる味だ。メインはコウイカのソテー。どの料理もおいしく、二人でこれだけ食べて飲んで10044円だから、安い。妻とは、この食堂にもまた来たいね、という話になった。












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