停電の夜に考えたこと。

北海道胆振東部地震の影響で停電になってから2日目の夜を迎えようとしている。北海道の全世帯のうち4割前後が既に復旧したというが、札幌や旭川など道央の人口密集地帯のことだろう。震源地から遠く、ほとんど被害もなかった釧路では、まだしばらくは停電が続きそうな気配である。現在午後5時をまわったところ。家の中が暗いのは先ほどから雨が降り始めたからだろう。
…と、ここまで書いたところで電気がついた(笑)。7日夕方のことである。

6日の午前3時過ぎに地震が起きたとき、揺れで目が覚めたぼくは、電気をつけて、被害が出ていないか家の中を見回った。そのときは確かに電気が来ていたのが、朝、目が覚めると停電していた。発電所に地震で直接的な被害が生じたというより、なんらかのシステム上のトラブルだろうと推測をした。
後で知ったところによると、道内最大の発電量を持つ厚真火力発電所の故障をきっかけに道内各発電所の連携に不具合が出て、本州からの送電もうまくいかなかったということらしい。システムとして脆弱の謗りは免れないだろうが、それはそれとして、7日にはほぼ全面的に復旧したのは、北電の人たちも頑張ったなあ、と思う。

それにしても、ここ数年、大きな被害をもたらす自然災害がやけに目立つ。特に今年は多い。
かつてない規模の天災が続いたというのはあるだろうが、どうも防災システムの不具合、ほころびが多すぎる。
再稼働した原発の避難計画の杜撰さが象徴するように、東日本大震災、福島原発事故の苛酷な体験を経てなお、危機管理が疎かにされ過ぎているのではないか。あまりモラリストめいたことを言いたくはないが、宴会をやっていたとか、政府首脳の災害時の対応をみていると、心ここにない感がありありとうかがえて不愉快である。

ぼくの住む釧路はもともと地震多発地帯なので、住民は地震慣れしていて、被害を最小限に抑えるノウハウを身につけている。天災は「忘れる間もなくやってくる」のだから、行政の対応は対応として、一人一人も自衛するしかない。ぼくは釧路での生活が長いし、仕事で災害現場の場数も踏んでいるので、いつも万が一の場合を考え、自分なりに備えもしてきた。それでも、盲点となっていた部分もある。

ぼくは缶詰めなどの非常食料、飲料水のペットボトルは、一週間生活できる量を目処に常備している。この春、システムキッチンを一新したが、IHの導入は全く考えもしなかった。おかげで、停電をしても炊事には困らない。さらにカセットコンロと予備のボンベがあるので、ガスが止まっても煮炊きはできる。風呂の水は基本的に残してある(ときどき洗濯に使う)。
冬の暖房は薪ストーブがむしろメインで、灯油のストーブが使えなくなってもそれほど困らない。乾電池駆動のランプが二つあるので、最低限の明るさは確保できる。愛用のMacとiPhoneを充電するため、大容量(20100mAh)の携帯用バッテリーも用意してある。
要は電気・水道・ガスのインフラが全滅しても、一週間は生活できることを前提に準備してきたつもりだ。そもそも現在の場所に家を建てたのも、海抜が15mほどあって地形的にも津波の被害を受けにくいからだ。交通は不便だが、災害時の安全を優先した結果である。

だから、今回の「停電だけ」という事態は深刻なものではなく、冷蔵庫の中のものが傷む前に食べてしまおうと考え、質量ともに普段と変らぬ食事をしていた。缶詰めの類には手をつけていない。酒は普段から十二分に備蓄してあるので、安心だった(笑)。


暗くて静かな生活はむしろ好きなので、これでミステリ小説の一冊もあれば文句なしだった。
ちょうど一冊読み終えたばかりで、次の一冊を注文してまだ届いていなかったのがちょっと残念。

ただし、誤算もある。まず携帯用バッテリーがほとんど役に立たなかったこと。ぼくが持っているのはTronsmart Brioという機種で、これが使わなくてもどんどん減衰していくというシロモノ。前の金曜日にフル充電したばかりだというのに、一週間足らずで、電池の残量が半分を切っていた。iPhone7を2回充電するのがようやくで、これでは停電が長引けば役に立たない。
テレビがつかないこともあって、災害の情報を得るのはまずスマホからであり、東京の妻や外国駐在中の息子、広島の実家と連絡をとるにもスマホは必需品である。
これはもっと実用的なバッテリーを用意するしかない。さらに、トイレの問題があった。シャワートイレが使えないのは当然想定していたが、数年前に導入したタンクレス型の便器は電気が停まると水が流れないのである。もっとも、後で気がついて説明書を調べてみると、案の定、サイドカバーを外したところに「停電用ハンドル」というのが用意されていた。こういうのはあらかじめ確認してテストしておかないと、いざ停電になってからでは調べるだけの気持ちの余裕がない。
結局、毎回用を足すたびに、風呂場からバケツで水を運んで流していたのである。一方、給湯器は灯油を燃料として使うものだが、こちらは電気がないと着火しないシステムになっている。だから風呂には入れなかった。今回は関係なかったが灯油ストーブも同じ。電気なしでは稼働しない。普段からかなり災害を意識していても、気がつけば、便利さと引き換えに災害に脆弱なシステムになっていたことに気がついた。ただし、これを入れ替えるにはウン10万円かかるので、おいそれと対応することはできない。

当面の対策としてぼくはAmazonで充電型のポータブル電源を買った。40540mAh/150Whで13280円。
iPhoneなら10回フル充電ができるし、パソコンにも使える。さらに給湯器をスタートさせたり、シャワートイレを機能させるためにも使えそうだ。余裕があれば、LEDスタンドをつないでもいい。基地局さえ機能していれば、Wi-Fiも使えるかもしれない。そのうえ別売のアタッチメントを使えばソーラー蓄電ができるというのもメリットである。
釧路は秋から冬にかけての日照時間が長いので、使ってみて具合がよさそうなら、寒くなるまでにソーラー充電器を買い足しておくつもりだ。

というわけで、個人として可能なあらゆる準備、リスクの分散策はとっているつもりだが、一方で、〝豊さ〟〝便利さ〟への信仰を棄てることも必要なんじゃないかという思いを深くしている。
ぼくがまだ子どもだった昭和40年代の始め、電力会社に勤めていた父親の転勤で広島にいたが、学校が休みになるといつも松江の祖父母のもとに遊びに行っていた。そこにはテレビもなく、電気冷蔵庫も、たぶん電気洗濯機もなく、風呂もないのでいつも近所の銭湯に行っていた。
家事をするわけではない子どもの気楽さは差し引くとしても、当時はそれがそれほど不自由な暮らしとも思わなかった。隣が貸本屋で、いつも漫画本を借りてきて読んでいたっけ。初めて釧路にきた昭和50年代半ばもさほど事情は変らず、サラリーマン生活のスタートは間借りの四畳半一間、仕事上やむを得ずテレビとビデオは置いていたけれど、電話は大家さんからの呼び出し、冬は鼻毛も凍る寒さのなかを銭湯に通い、小さな灯油ストーブではなかなか部屋が暖まらず、暖房代わりに酒をかっ喰らっては寝る暮らし。その頃に戻るべきだ、などとは言わないが、戻るなら戻るでそれほど苦にはならない気がする。
災害時の備えを忘れて、オール電化住宅だの超高層マンションだのと言い出して、世の中おかしくなったという思いが拭えない。
災害に対して脆弱な、砂上楼閣の〝繁栄〟に流されることなく、一歩戻る勇気こそが持続可能な社会を築くのではないか。停電の夜、ランプの明かりを頼りに酒を飲みながら、そんなことを考えた。

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