原発事故から5年の「理科・社会」

放射線防護学者の安斎育郎さんの著書に
「原発事故の理科・社会」(新日本出版社)というのがある。
端的にして絶妙なタイトルというべきで、
原発事故の全体像は
「理科」と「社会」の
どちらの視点が欠けても見通すことができない。
それは、福島の取材を続けてきたぼくの実感でもある。
まもなく福島原発事故から5年。
まだ「収束」というにはほど遠い状況が続いている。
原発事故後の福島、あるいは日本社会をどう考えるべきか、
今後いったい何が課題として残されるのか、
安斎さんに倣って
「理科」と「社会」の両面から整理を試みてみたい。


まず、「理科」。
いまだに「福島に人が住むべきではない」などという人がいるが、
「帰還困難区域」などを除いた
現在も人が住んでいる区域については、
放射線が健康に深刻な影響を及ぼすことは
まずないだろうと考えている。
根拠は積み重ねてきた実測データと、
安斎さんを始めとする
複数の専門家の知見ならびにアドバイスである。

去年、ぼくたちは、
昼間は楢葉町(主に屋外)で撮影を行い、
夜にはいわき市で泊まるという生活を続けていた。
撮影期間を通してスタッフは積算放射線量の計測を続けてきたが、
一日の放射線量(推定被ばく量)は
おおむね2マイクロシーベルト弱で推移していた。
ちなみに京都在住の安斎さんとその秘書が
我々のと同じ機種の線量計で測った数値がほぼ同じである。
京都には福島原発事故の影響は及んでいないので、
これは自然放射線の数値だと考えていい。
つまり、
福島が危険だというなら京都に住んでいても同様に危ない、
逆に言えば、
京都が安全な程度には福島も安全だということになる。
さらに取材を通して知り合った川俣町の山あいに住む女性にも、
安斎さんの協力で同じ機種の積算線量計をつけてもらった。
その結果は、年間被ばく量に換算しておよそ1.5ミリシーベルト。
これは外部被ばくの数字で、
日本人の場合、
他にカリウム40など食物を通しての内部被ばくが
平均で年間およそ1.6ミリシーベルトあると言われているから、
合計で年間3.1ミリシーベルトの被ばくが推定されることになる。
(この女性の生活から内部被ばくが通常より高いとは考えられない。)

日本人の平均被ばく量は年間2.2mSvだから、
それより年間1ミリシーベルト弱高いことになる。
しかし、この数字は、
自然放射線で年間5ミリシーベルトを被ばくするフランスや、
10ミリシーベルト近い北欧諸国に比べれば低い。
つまり、除染などの結果として、
福島で暮らす人の被ばく量は概ね
自然放射線量の地域差に収まる程度のものでしかないことになる。
これ以外にも
生活地の異なる複数の福島県民の実測データが手元にあるが、
この範囲をはみ出して突出した被ばく量は観測されていない。

この川俣町の女性と諸外国の自然放射線量の比較については
番組(ETV特集「終わりなき戦い」)のなかでも紹介している。
さらに同じ番組では、
基準値を超える食物(例えばマツタケ)を食べたとしても、
量を考えれば
ほとんど問題にはならないという安斎さんらの見解も紹介した。
さらに別の番組(ETV特集「帰還への遠い道」)では、
楢葉町で採取された山菜がゼンマイを除いてはすべて基準以下、
それも多くがNDであった事実を紹介している。
つまり、
健康被害が出ることへの警戒は今後も怠るべきではないが、
現状ではそれほど神経質に恐れる状況にはないだろうというのが
取材を通して得たぼくの結論である。
もちろんデータのない初期被ばくによる甲状腺がんについては、
現時点で拙速な判断はできず、
今後とも警戒を続けていく必要があるだろう。
しかし、トータルとして言えば、
福島原発事故の被害は、
不幸中の幸いで、その程度に収まったといえそうだ。

さて、ここまでは原発事故の「理科」の問題である。
これが原発事故の「社会」の問題に目を転じると様相が一変する。

原発事故は、
福島で暮らしてきた人々の生活をめちゃくちゃにしてしまった。
避難指示区域では、
事故に起因するコミュニティの崩壊は
もはや回復不能なところまで進んでいる。
ぼくが取材してきた楢葉町では
去年の9月に政府の避難指示が解除されたが、
現在に至るまで町民の僅か5%ほどしか帰ってきていない。
「安全」に対する懸念があるのは確かだが、
以前あったような地域社会が壊れてしまったために、
例え家があったとしても帰るに帰れないと訴える人が少なくない。
また、森林の除染を放棄したことで、
山菜やキノコの採取などで
里山と密着していた人々の暮らしぶりは大きな変化を免れない。
こうして、
数百年のあいだ
人々が営々として築き上げてきた地域社会の歴史が、
事実上、原発事故をもって断絶してしまったところが現れている。
人間関係や、生業、祭りなどの習俗
…地域の暮らしそのものが壊れた。

そしてそうした「事故によって強いられた生活の激変」は、
一見平穏を取り戻したかのように見える
避難区域以外にも確かにある。
避難区域に隣接する南相馬市などでは特に顕著だ。
多くの人たちが、いまなお逡巡や苦悩を心の内側に抱いている。
避難をしたくても生活を考えれば避難はできなかったとか、
いまでも避難しなかったことが
本当に良かったのか考えてしまうとか、
取材の中でそうした声を聞くことは珍しくない。
子どもたちに甲状腺の異常が見つかり、
避難をしなかった自らを責める気持ちに苛まれている人もいた。

ぼくが取材した範囲で言えば、農家の方々の苦悩も深い。
福島の農家は深刻な「風評被害」に苦しめられてきた。
放射性物質がほとんど含まれていない事実が明らかにも拘らず
せっかく丹精を込めた収穫物を
買い叩かれることが少なくなかったのである。
去年、福島県で収穫された米は、
すべて出荷基準以下の放射性物質しか含まれておらず、
それもほとんどはND(検出限界以下)だった。
農家の努力の結果であり、
科学的根拠を無視した
風評被害が一掃されていくことを願ってやまない。
しかし、ひとたび農家の側に立って考えれば、
風評被害が消えたとしても
それで問題が解決したことにはならない。

農家…とりわけ専業農家には、
「自分が目指す農業」の方向を明確に持っている方が少なくない。
そのため、時間をかけて土作りもやってきた。
農業の現場を取材すればすぐ判るが、
多様で、創造性に富んだ現場である。
原発事故でセシウムが田畑に降り注いだことは、
そうした農家が営々と続けてきた取り組みを
一瞬にしてご破算に追いやったことに他ならない。
農家は
よりよい作物を作るためのそれまでの取り組みを一旦中断して、
セシウムとの戦いを始めなければならなかった。
セシウムによって汚染された地表から数cmの表土は、
いうまでもなく農家の命である「最も肥えた土」である。
除染のため田畑の表土を剥ぎ取ることは、
それまで長年の努力によって作り上げてきた
土を失うことに他ならない。
いわゆる「天地返し」にしても、
多くの場合、地力を落とすことになる。
そして、除染をしなかった場合は、
放射性物質が
依然として土の中に残っているという事実が彼らを苦しめる。
ぼくには本当のところは判らないが、
田にゼオライト(セシウムの吸着剤)を入れると
米の食味が落ちるというので悩んでいた農家もいた。
そして、セシウム137の半減期は30年。
原発事故がなければ追求していたはずの目標、
それに向けた取り組みを全てご破算にされたうえに、
「自分の一生はセシウムとの戦いで終わることになるのか」と
深い絶望感を口にする人もいた。
こうした人たちにとって、

出荷した産物の「安全」が確認されたことは
ようやく「振り出しに戻った」ことでしかない。
原発事故の被害がいまなお回復されていないのは明らかである。


「社会」の問題の多くは表面から見えにくい心の問題でもあるが、
原発事故が人々に残した「傷」は決して小さいものではない。
「安全」か「危険」かは
原発事故を考えるときの重要な要素に違いないが、
それだけで考えると全体像を見失うとぼくは判断している。
原発事故の被害とは、
こうした一人一人の人生に即して語られるべきではないだろうか。

今後は、
廃炉をどう実現していくかという問題、
すでに破綻が明らかな
除染廃棄物(等)中間貯蔵施設の問題もある。
そして、その先には、
廃棄物の最終処分場を福島県外に設けるという
到底実現可能とは思えない
事故処理の「フィクション」が待ち構えている。
さらに、
住民の帰還が進まなければ
成り立たなくなってしまう自治体の破綻処理など、
巨大な「社会」の問題は山積である。
稿を改めて書くつもりでいるが、
既存のコミュニティが崩壊してしまった後に、
新しい土地で
見知らぬ人たちとの暮らしを始めなければならなかった、
高齢の被害者たちの孤立をどう防ぐのかも
今後の課題となるだろう。
…政府はこうした問題にどう決着をつけようとしているのか。
天文学的な巨費に達すると予想される
事故処理費用の負担はどうするのか。
すでにADRの和解案拒否や
除染費用の支払いを拒否するなど
強硬な姿勢を見せている東電の問題もある。
そうしたことの一つ一つが
直接・間接的に住民の生活にのしかかってくる。


こうしてみると
原発事故の問題は
「理科」以上に「社会」の問題ではないかという気もする。
問題はすでに明らかになったものだけでも充分に深刻ではないか。
ぼくは、4年半にわたる取材の結果として、
例え深刻な健康被害が起こらなかったとしても
原発事故の被害は
やっぱり「取り返しがつかない」ものだと考えている。


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