黄昏の街・釧路

ぼくは北海道の釧路に家を持っている。
今年で築20年になるが、
その間ほとんど住むことはなく、ローンだけを払い続けてきた。
もともとは老後を過ごすつもりで独身時代に建てた家だが、
その後、自称「都会派」の女性と結婚したため、
ぼくのささやかな人生設計は根底から狂ってしまった。

それでも、
一仕事終えると休暇をとって釧路で過ごすことが多く、
ここ数年は、一年に一ヶ月くらいは釧路にいる計算になる。
特に今年は体調が万全ではないので、
静養を兼ねて釧路での時間を長くとるようにしている。
年が明ければ定年退職なので、
それまでに有給休暇を使い切ってしまおうという魂胆もある。

釧路にいるとき、ぼくの生活は「晴耕雨読」である。
もっとも畑を作っているわけではないので、
「耕」といっても庭の手入れがもっぱらである。
庭木の剪定から雑草の駆除まで、これが結構大変だ。
あとはカメラを片手にほっつき歩いていることが多い。
若い頃からの写真好きだが、
雄大な北海道らしい風景を選んで撮影しているわけではない。
家の近くの春採湖や、
買い物に出るときに通る幣舞橋などで、四季折々の風景を撮る。
極めて日常的な風景を飽きもせずに撮っているわけだ。
そうしたなかで、毎日のように撮っているのが夕景である。
ぼくは釧路の夕日は日本一だと勝手に思っているのだ。


生まれ故郷の松江も宍道湖に沈む夕日が美しい街だが、
釧路の夕日…
秋から冬にかけての光の透明さと
雲が織りなす表情の豊かさはそれ以上だと思う。



特にこの季節は、夕日が幣舞橋から見て正面に沈む。
それを知ってか、橋の上には写真を撮る人たちがひしめいている。
観光客なのか、地元の人か。
数年前までは見られなかった光景である。


一方で、釧路は“斜陽の街”でもある。
初めてこの街に住んだのは20代の初めで、
もう40年近く前になるが、その間の寂れ方は只事ではない。
街を歩けば荒れ果てた廃屋が目立ち、
目抜き通りだったはずの北大通りも廃ビルばかりで無残なものだ。
日本全国で起きている「地方の衰退」を象徴しているような街である。

基幹産業だった漁業の衰退も目を覆うばかりで、
市場に行っても安くて美味い魚にお目にかかれなくなってきた。
とりわけ今年は酷いもので、
今年が最後の漁になるベニザケは値段が高騰して手が出ない。
ホッケは乱獲で資源が減り、開き一枚が1300〜1500円もする。
ついこのあいだまで、羅臼産の本場ものが5〜600円で買えたのに。
サンマも、水温の関係だろうが、
今年は南下がずいぶん遅れたうえに脂の乗りがよくない。
ようやく一匹150円くらいまで値を下げてきたが、
8月にはやせっぽちが400円近くしたので呆然とした。
公海で台湾や中国の漁船が乱獲するので不漁だというが、
この魚体の貧弱さはそれだけが原因とも思えない。
だいたい自分で自分の首を絞めるような乱獲は日本漁業の“お家芸”で、
ニホンウナギやクロマグロを絶滅寸前まで追い込んでいるのだから、
他人のことを言えた義理ではないのだ。


週末には
台風並みの爆弾低気圧を避けて
いわき(福島)や境港(鳥取)のまき網漁船が港に入っていた。
ぼくの若い頃は釧路沖のイワシ漁が最盛期で、
全国からやってくるまき網船団で
港にもうひとつ“街”ができたような賑わいだった。
乱獲が原因だとばかりは言えないのだが、やがてイワシは姿を消し、
日本一の水揚げ量を誇った釧路港の隆盛も今は昔の話である。


それでもぼくはこの街が好きで、
釧路にいるとなぜかしら気持ちが落ち着く。
定年退職の後は、釧路で過ごす時間をもっと長くしたいと考えている。







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