2015年1月23日金曜日

「対テロ戦争」の憂鬱

後藤健二氏と湯川遥菜氏が「イスラム国」に拘束され、
まもなく「殺害予告」の期限・72時間を迎えようとしている。
事件が明らかになって以来、
仕事が手に付かないほどの憂鬱のなかにいる。
(とはいえ、忙しくしている。きょうもこれから出張だ。)
二人の命の危険が迫っているのはもちろんだが、
「平和」を国是としてきた日本の国家ないし社会のあり方が
かつてないほど大きく揺さぶられていると感じるからだ。

Twitterにも繰り返し書いたことだが、
日本の中東外交が「人道支援」に基づくものだとするなら、
今回の安倍首相の発言は完全に逸脱していると言わざるを得ない。
戦争を招来するに至った「政治」とは異なる文脈で、
敵味方の分け隔てなく行うのが「人道支援」だろうからだ。
当然、紛争当事者の一方を名指ししての非難は避けるはずである。
そこに政治性を介在させ、
「イスラム国がもたらす脅威を少しでも食い止める」等と言えば、
これは明らかに紛争当事者の一方を敵視し、
一方に肩入れをする姿勢を明確にすることになってしまう。
一国の首相がこうした極めて「政治的」な発言をすれば、
いくら「人道支援」だと言い繕ってみても説得力を持たない。
「敵」として名指しされた「イスラム国」から見れば、
日本の援助は対立する勢力への「後方支援」であり、
日本に宣戦布告されたに等しい文脈で受け取ってしまうだろう。

首相サイドはそのあたりに想像力が及ばなかったのだろうか?
それとも、それさえ計算し尽くしてのことだったのか?

ぼくは「イスラム国」を支持しているわけではない。
極めて残忍苛烈な暴力性を嫌悪さえしている。
しかし、彼らが「知的」であることは認めざるを得ない。
残念ながら、知性と残忍さは両立するのだ。
彼らの「脅迫文」なるものは極めてロジカルである。
ぼくは日本語に翻訳されたものでしか読んでいないが、
彼らのロジックは次のようなものだ。

1.我々は日本を「敵国」だと考えてこなかった。(暗黙の前提)
2.然るに日本の首相は8千キロ以上の距離を超えてきて、
  敢えて「イスラム国」に敵対する発言を行なった。
3.かくなる上は我々は日本を「敵国」と見做さざるを得ない。
4.「敵国」である以上はテロの標的とする。(暗黙の恫喝)
5.しかし、日本人は本当にそれでいいのか?
  首相の発言は日本人の総意に基づくものなのか?

…「イスラム国」が
「誘拐ビジネス」によって資金を得てきたことは知られている。
しかし、身代金の金額を
「対イスラム国」資金援助と同額の2億ドルに上げてきた時点で、
それはもはや「ビジネス」ではなくなっているのではないか。
日本人に対して、
同胞の血を流す覚悟で「対テロ戦争」に参戦するのかと、
踏み絵を迫っているようにぼくには思われる。
そして、その「同胞」とは、
当然、いま彼の地に拘束されている二人に限らないはずだ。

従来の「国家」の枠組が大きく揺らぐ世界史的局面のなかで、
「戦争」の意味もまた変わっているのは自明のことだ。
「対テロ戦争」という新たな殺戮戦に足を踏み出すのかどうか、
ぼくら日本人はいま容赦ない決断を迫られている。
なし崩しにこのまま「戦争」へと突入していくのか。
憲法9条の廃棄を念願とする安倍さんには本望かも知れないが、
ぼくは真っ平御免である。

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