2014年6月14日土曜日

仙台 名残の日々


 3年間の仙台勤務を終えて東京に戻ることになった。
12日に最後の番組を完成させて、
(20日放送「東北Z・原発事故が奪ったものは」)
きのう今日でアパートの荷物を片付けた。
単身赴任とはいっても、
3年も暮らせばそれなりに荷物があるものだ。

その慌しいなか、
後輩の女性ディレクターと話をしていて、
彼女が何かの拍子に「X橋」と云ったので、
あッ、と意表を突かれた気がした。
高城高(こうじょう・こう)の
短篇小説「X橋付近」を思い出したのである。

「X橋付近」は1955年、
雑誌「宝石」に発表されたミステリーで、
和製ハードボイルドの嚆矢とされる作品である。
(ぼくはそのとき母親のお腹の中にいた。)
作者の高城高は当時東北大学に在学中で、
後に北海道新聞社に入社、
記者として釧路に着任して
道東を舞台にした数々の作品を著した。
新聞記者としての仕事が忙しくなったためか、
次第に作品を発表しなくなり、
現在では「幻の作家」と呼ばれているようだ。
ぼくは高城作品に描かれた
東北海道の荒涼とした風土感が好きで愛読し、
仙台に行く機会があったら
X橋を見たいと思っていたのである。

それをすっかり忘れていたのは、
東日本大震災に対応する要員として
仙台に送り込まれたという事情による。
福島原発事故の取材などに追われ、
おちおち仙台に落ち着いてもいられなかった。
「X橋」どころではなかったわけだ。

後輩女子とX橋について話した翌日、
引越し荷物をまとめていたら
高城高全集の文庫本が出てきた。
仙台に持ってきていたことも忘れていた。
荷造りの手を休めて「X橋付近」を読み直した。
プロットは少々乱暴なもので、
死体を発見した主人公の学生の行動が
妙に冷静かつハードボイルド(!)なのが不自然だ。
しかし、硬質な文体はやはり魅力的で、
高城高の暗い叙情はデビュー作にして鮮烈である。
主役が交替して語られる後日談も効いている。

後輩女史に場所を教えてもらって
(27歳の彼女は高城高を読んでいた)
仙台生活の最後に
「X橋」付近を歩いてみることにした。
幸い、会社から徒歩で10分ちょっとの近場である。


X橋は本名を宮城野橋という。
東北本線などの上に架けられた跨線橋で、
二本の橋がX型に交叉していたのでこう呼ばれる。
いまでは一本は壊されて残骸だけだが、
地元では、いまも「X橋」の方が通りがいいようだ。


橋の残骸の下を抜けるトンネルを見て、
あれ、ここだったのか、と思った。
この風景には記憶があった。
かつて三陸にダイビングで通っていた頃、
海の帰りによくこのトンネルを通った。
仙台駅に行くのに便利な裏道だったのだろう。
いまはトンネルの部分だけ残されているが、
やがてすべて壊して撤去するとのことで、
橋桁の取り壊し工事が始まっていた。


「Ⅹ橋」の残骸がある風景は妙にぼくの心を捉えた。
ぼくは3年のあいだに
仙台の街が大好きになっていたが、
その大きな理由は、
文化横丁や壱弐参(「いろは」と読む)横丁など
“昭和の臭い”がする飲み屋街の存在だった。
「X橋」にもどこか似通った、
幾分うらぶれた気分が漂っている。

引越しの準備をしながら
夜には馴染みの横丁を飲み歩く日が続いた。


例えば、文化横丁の老舗「源氏」。
ぼくはこの時代のついた真鍮の燗付け器が好きで、
飽かず眺めながら酒を飲んだものだ。
(この店にはほとんど一人で来ていた。)


文化横丁で飲んだ後は、
すぐ近くの壱弐参横丁にまわるのが常だった。
大きな病気をしたこともあって
はしご酒の習慣はなくしていたが、
ここに来たときは「例外」を自分に許していた。
多くの場合、
「鉄塔文庫」という店でホッピーを飲んだ。
最近は酔って記憶を失なうことが増えてきた。

明日の朝には荷物を出して、ぼくは東京に向かう。
単身赴任生活のために買った
ベッドやテレビ、冷蔵庫などは
東京に持って帰ってもしょうがないので釧路に送る。
仙台から釧路へ、
ぼくの家財道具は
半世紀以上前の高城高と同じ道をたどることになる。



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