極上のイーストウッド「人生の特等席」

イーストウッド主演の新作、
「人生の特等席」を観に行った。
妻と一緒に新宿ピカデリー、夫婦50割引である。
ぼくが50歳になりたての頃、
かみさんは夫婦50割引で映画を観ることに
「年寄りに見られちゃう」と拒絶反応を示していた。
最近はすっかり平気になったらしい…w

監督はこれが第一作のロバート・ロレンツ。
キャリアからいってイーストウッドの愛弟子である。
この作品には、
イーストウッドが
自らメガフォンを取った作品ほどの厳しさはない。
しかし、きちんとツボを押さえた作りが大変心地よい。

イーストウッド扮する主人公は野球のスカウト、
老境を迎えてからいつも演じてきた役柄と同じように、
気難しく頑固な(およそ協調性に欠ける)人物である。
妻は「あなたにそっくりだよ」といった。
そっくりかどうかは知らないが、
自分の仕事に誇りを持ち、
時代がどうあれ、世の中がどう動こうと、
自分の流儀を貫くだけの
力量を持った「職人」になれたら本望である。
(気難しく、へんくつなだけなら、単なる鼻つまみだ)。

開巻、いきなり、
小便の出が悪いと嘆くシーンから始まるのが出色だが、
パソコンひとつ扱えない主人公は
球団(アトランタ・ブレーブス)のなかでも
前世紀の遺物扱いをされていて、
次のシーズンに再契約されるのかどうかは微妙だ。
最近は緑内障が始まっていて、
スカウトにとって肝腎の目が見えない。
こうした逆境からのリベンジがもたらすカタルシスが
イーストウッド映画の醍醐味なのだが、
今回リベンジをなし遂げるのは
老いたるイーストウッドではなく、
門前の小僧が習わぬ経を読んだ格好の一人娘である。
不器用な父親と、
父親から頑固なところだけは受け継いだ娘、
二人の交情がこの映画の主旋律で、
型通りであることの心地よさが全編を貫いている。
「型通り」であることは
ほとんどの場合マイナスなのだが、
定石がぴたりと決まれば力にもなり得る。
昔のハリウッド映画はそれが強みだったはずだが、
伝統をきちんといまに受け継いでいるのは
イーストウッドくらいのものだろうか。
娘が見いだすことになる「知られざる逸材」は
その前にワンシーンだけ登場しているのだが、
映画を見慣れた観客なら、
それが後に重要な役割を果たす人物だというのは
すぐにピンとくるはずである。
そうした伏線の張り方など作劇の確かさが、
この映画の古風でオーソドックスな魅力になっている。

「人生の特等席」には、
最盛期のハリウッド映画のような幸福感が溢れている。
ラスト、「You Are My Sunshine」が
(主人公の亡妻に寄せる思いが込められた歌だ)
大好きなレイ・チャールズで聴こえてきた時には
ぼくは思わず涙ぐみそうになった。

映画が終わって、
ぼくは妻に「いい映画だったね」と言った。
妻は「よかったね、野球がつなぐ親子の絆」と答えたが、
次の瞬間、
「で、ホームランってなあに?」と訊くので
ぼくは答えに窮してしまった。
全くの野球音痴に野球のルールを教えるのは、
思いのほか難しいことである。

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