2012年7月30日月曜日

秘湯マニア垂涎の「元湯夏油」

29日の朝早く仙台を出て、
花巻市で行われた
被災地の医療に関するシンポジウムを聴きに行く。
シンポジウムは内容を詰め込み過ぎて
いささか消化不良の感は拭えなかったが、
国保藤沢病院の事業管理者である佐藤元美先生の
「患者を『受益者』にしてはならない」という言葉が、
厳しく、示唆に満ちていて、印象に残った。

3.11の直後、岩手県で地域医療の取材を続けたぼくは、
震災によって
何か新しい問題が引き起こされたというより、
もともとあった問題が一気に顕在化したのだと思った。
これは医療に限らず、
災害は地域が抱えてきた矛盾を極大化するのである。
これから東北の被災地は
深刻な過疎化と高齢化に直面するのは間違いない。
過疎化・高齢化は
日本の地方がどこも共通して抱える問題点だが、
東北では大震災によって一気に加速されるだろう。
たぶん数年のうちに
超高齢化した「2030年の日本」が
被災した東北の各地に現出するのではなかろうか。
(福島県ではもっとドラスチックかもしれない。)
そうした時代に正面から向きあう医療のかたちを、
被災したいま、
むしろ被災を奇貨として、
一気に作り上げなければならないのである。
そのとき住民は新しい地域作りの主体であるべきで、
「受益者」になってしまうと
陳腐化した過去の幻影のような医療が
被災地に「復旧」されてしまうのだろう。

シンポジウムは午過ぎには終わって、
せっかくここまで来たのに
そのまま帰るのはもったいないというので、
北上市にある夏油温泉で一泊することにした。
北上駅まで宿の車が迎えに来てくれて、
細いつづら折りの山道を一時間ほど登った道の果てに
ぼくが泊まる「元湯夏油」があった。
宿のパンフレットによれば
「夏油(げとう)」という奇妙な響きの地名は
アイヌ語の「グット・オ(崖のあるところ)」が
語源だというのでちょっと驚く。
「グット・オ」というのはぼくにはよく判らないが、
確かに岩手県も北側になると
「ナイ」や「ベツ」などのアイヌ語地名が目立つ。
かつてアイヌの人々が暮らしていたのは間違いない。


夏油温泉では、宿の内湯(二つある)以外に、
夏油川の峡谷に沿っていくつもの露天風呂がある。
それぞれ泉質や泉温が違っているというのが豪気だ。
もちろんすべてが源泉かけ流しで、
溢れたお湯は惜しげもなく川に流れ込んでいる。
夏油川が白濁した独特の色をしているのは、
硫黄分が流れ込んでいるためではないだろうか。


露天風呂は、
女性専用のひとつを除いてすべて混浴である。
もっとも、
若い女の子など間違ってもいそうにないから、
心配(?)するには及ばない。
最近の若い女性は混浴を好むらしく、
けっこう山奥の湯にまで若いカップルがいたりして
いたたまれない思いをすることがあるが、
彼女たちの攻勢もここまでは及んでいないようだ。
シニアの女性客が何人かいらっしゃったが、
みなさん、
女性専用時間(というのがある)に入浴なさるのか、
露天風呂に蠢いているのは男性ばかりで、
それも平均年齢はかなり高めである。


川の向こうにあるのは「女の湯」、
「女湯」ではない、
「目の湯」が転じて「女(め)の湯」、
その名の通り、眼病に効能があるらしい。
目を洗っておいたが、
最近とみに近いところが見えなくなった、
老眼にも効くだろうか?
写真の右側にある橋のたもとに
「真湯」というもうひとつの露天風呂があって、
タオルで前を隠しただけの男たちが
橋を行ったり来たりしながらうろうろしている。


これは「大湯」、熱くて入れない。
泉温は47.9℃と表示されている。
加水は一切しないのがこの温泉のポリシー。
ぼくはかなり熱い湯が好きな方だが、
膝まで入って悲鳴を上げながら飛び出した。
ぼくが見ていた限りでは、
この湯に入れた人は一人もいなかったようだ。
だから、こうして無人の湯。
悔しいから、桶でお湯を汲んでさまし、
何杯か体にかけ湯をして引き返すことにした。
きっと秋が深まる頃から入れるようになるのだろう。
すぐそばにある「疝気の湯」は、
泉温が49.8℃とあるが、実際にはぬるい。
源泉の温度が低くなっているのか、
湧き水と混じってでもいるのだろうか。

夏油温泉は「最後の秘湯」と呼びたいところだ。
湯質がよく量もふんだんだが、他に何もない。
携帯の電波の圏外で、
(少なくともiPhoneは感度ゼロだった)
部屋にはテレビもない。
もちろんネットも飛ばないから、
外界の情報から遮断された格好である。
入浴する以外には、本を読むしかやることがない。
ぼくは村上春樹さんが訳した
チャンドラーの「さよなら、愛しい人」を紐解く。
読みやすい平易な文章のうえ、
マーロウ独特の皮肉なユーモアなど
登場人物の会話がこなれていてとてもいいのだが、
どうも題名は「さらば愛しき人よ」でなければ
気分が出ないのです。

…夕食で大広間に行ったら、テレビがついていた。
テレビの電波が届かないというわけではないらしい。
山菜などを肴にたらふく酒を飲んで眠り、
夜中に起き出して広間に潜入してサッカーを観る。
日本チームがモロッコを破り、
決勝トーナメント進出を決めた瞬間に立ち会った。


2 件のコメント:

  1. 花巻では久しぶりの再会,驚きました.被災地の「住民」,「患者」が学識のある人,思いやりのある人,勇気のある人の救済の対象(客体)となるだけでは,やはり足りないように思いました.しかし,議論はあまりかみ合わず,場違いな気分が最後まで消えませんでした.

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  2. もっと時間をかけてお話をうかがいたく思いました。
    被災した高田病院にしても、
    被災地の医療を支える支援基地の役割を担った藤沢病院にしても、
    高齢化していく社会を見据えた医療への取組みは
    震災前からすでに意識的に行われていたことだったはずです。
    であれば、大震災は日本の医療にとって何だったのか、
    そのポイントをもっと明確化して議論すべきだったと思います。
    復興(地域づくり)の主体の問題のみならず、
    被災地への医療支援が
    医療過疎地への継続的な支援システムに深化していく可能性など、
    東日本震災が浮かび上がらせたことは、
    必ずしもマイナスだけではなかったように思います。

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