先が見えない…

南相馬でのロケを追えて仙台に帰ってきた。
きょうは飯舘村に近い高線量地域で、除染実験の様子を撮影した。
民家の前庭にある放射性物質が付着した砂利などを取り除くことで、
生活環境の放射線量をどこまで下げられるか確かめようというものだ。
当初は汚染された砂利を地下に埋めて、
下にあるきれいな土で遮へいする「天地返し」をする予定だったが、
手間がかかり過ぎるため、家から遠い側に寄せただけで終わった。
周囲からの影響を遮へいするために、
厚い円筒形の鉛のなかに線量計を入れて除染後の放射線量を測る。
砂利を2~3cm取り除いただけで、確かに線量は変わっていた。
地上1mの空間線量が毎時2マイクロシーベルト以上あったところが、
地表で0.3マイクロシーベルト程度にまで落ちている。
ところが、1mの空間線量は逆に上がり、
毎時3マイクロシーベルトを超えてしまうという思わぬ結果となった。
除染作業に伴い、
目に見えない放射性物質の微粒子が空中に舞い上がってしまったのだろう。
空中を浮遊する放射性物質は時間とともに再び落下していくはずで、
どれくらいの時間で、どの程度の線量に落ち着くのか、
現時点では除染効果がめざましかったとも云えず、
かといって、なかったともいえない、なんとも落ち着かない結果である。

南相馬市では市内40ポイントの放射線量を毎日測定しているが、
10月中旬から、その数字に微かな異変が現れ始めた。
時間とともに少しずつ下がってきていた線量が、
山あいの地域では逆に…僅かではあるが、上がり始めているのである。
落葉の季節を迎えて、
森の木々に付いた放射性物質が移動し始めているのかもしれない。
目に見えないものだけに、どう動いているのか判らず、不気味である。

















南相馬の農村地帯では「屋敷林」の風景が特徴的である。
冬になると山から強いからっ風が吹き下ろすためで、
この土地の人々は山側に杉林を背負うかたちで代々家を守ってきた。
ところが、その屋敷林に放射性物質が付着していて、
家を何度除染しても、
木から降ってくる放射性物質で線量が元に戻ってしまうというのである。
(台風の後で放射線量が上がったという話も複数の人から耳にした。)
ぼくが取材したある家は、
小学生の子ども3人を抱えて現在隣町の仮設住宅に避難しているが、
愛着のある(子どもたちも大好きな)我が家に帰ってくるために、
先祖が植えた杉の木を切り倒すしかないのではないかと考え始めている。
しかし、伐採に要する費用は馬鹿にならず、
東電が補償するのかどうかがはっきりしないため踏み切れないでいる。
また、遮るものがなくなった風が、
この後、家に及ぼすだろう被害も考えなければならないはずである。

先日の番組は、
何人かの方から「避難」より「除染」を重視していると批判されたが、
ぼくは「避難する権利」が尊重されるべきなのと同じように、
「(愛着のある土地に)暮らし続ける権利」も重要だと考えている。
そこでこれからも暮らしたいと願う人がいる限り、
少しでも安心できるよう全力を尽くす責務が国や東電にはある。
そして、「避難する権利」の実現より、
「(安心をして)暮らし続ける権利」の実現の方が
あるいはハードルが高いかもしれないと思い始めている。

南相馬の冬は風の冬であるらしい。
地表や森の木の葉に付着していた放射性物質の微粒子が
風に飛ばされて舞い上がり、どこかで濃縮することがあるのかどうか。
一度土や木の葉と結びついた放射性物質は
そう簡単には離れないというのが通説のようだが、
現実を見ていると必ずしもそうも言い切れない気がしてくる。
半ば脅えに近い心もちでぼくは事態の推移を見つめている。

コメント

  1. 「暮らし続ける権利」はもちろんあると思います。しかし、政府が、放射線の害をはっきり伝えず、汚染が強くて今後も暮らしにくい地域について居住不可能性をはっきり伝えないから、そして移住の場合の補償をはっきりさせていないから、住民に「戻ったほうがよいのではないか」、と思わせ、「戻れるのではないか」、という期待を残させてしまい、「戻りたい」という思いを残させてしまっている、ということもあるのではないでしょうか。それは当然聞かれれば「戻りたい」と言う人は多いでしょう。しかし、上のようなことを政府がはっきり伝えた場合にはどうでしょうか? その場合の「それでもぜひとも戻りたい」人の割合を知りたいものです。 
    そもそも、汚染が強くて先の見えない除染に多大な金を使うより、同じ金を補償に使うほうが合理的では? そして瓦礫は福島第一原発の敷地内、不足であれば、汚染の強い地域にも置くのが合理的かと思います。ここでもお金が結構浮くでしょうから、更に補償に使うことも出来ます。政府は批判を受けても、移染(まさにブログに書かれているような)にしかならないような今後住み難い地域は明らかにし住民にお願いし移住してもらう(むろん除染の効果のある地域が別ですが)、というくらいの覚悟が必要だと思います。「暮らし続ける権利の実現のほうがハードルが高い」のならなおのこと。
    そこに住む権利はやはり否定できないとは思いますが、問題はどこまで自己責任かということ。移住費は出ないにしろ、そもそもは政府・東電のせいであるから、移住費以外の補償は必要だとは思いますが・・。

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  2. ぼくは補償は必要だと思っていますが、
    現実には線引きは避けられず、どこに線を引くかという問題なのでしょう。
    東大の児玉龍彦氏は、
    1mSv/yでは顕著な健康被害は起こらないとしても、
    震災前の一般人の被ばく限度が1mSv/yだったことから、
    そこに線引きの基準を持ってくるべきだと考えていらっしゃいます。
    ぼくには順当な考え方のように思えます。

    日本原子力研究開発機構の天野治氏からメールをいただき、
    落葉では細胞の一部が破壊されることから、
    葉の細胞がつなぎ止めていた放射性物質が解き放たれ、
    その結果、山あいの地域の線量が上がっているのではないかということでした。
    早急に落葉を集めて地中に埋める必要性を訴えられていますが、
    なかなか難しい…でも何とか対処をすべき問題だとぼくも考えています。
    避難や移住で生活を切り替えることができる(可能性のある)若い世代と違って、
    多くの高齢者にとって移住は回復不能なダメージとなるだろうと想像されます。
    なんとか安心して暮らせる環境を取り戻す必要があると考えています。

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  3. 念のために付け加えておけば、
    政府はそれと明言こそしていませんが、
    居住不可能の線引きを20mSv/yに置いていることは明らかだと思います。
    政府のいう「居住不可能の20mSv」と児玉氏のいう「権利としての1mSv」、
    そもそも概念が違うので整理して考えることが必要だと思います。
    また、もうひとつ付言すれば、
    政府のいう放射線量は絶対値ではありません。
    あくまで自然放射線量に対して原発事故で増加した分が何mSv/yという話です。
    このあたりも、良し悪し以前にきちんと整理しておく必要を感じています。

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