きのうは田老から南に転じて一気に福島県の南相馬市まで入った。
到着したのはすでに夜も10時近かったが、
原ノ町駅前の繁華街は灯も少なく淋しかった。
南相馬市の市域は以下の5つのエリアに色分けされている。
福島第一原発から20km以内で立ち入りが制限された警戒区域、
年間線量が20ミリシーベルトを超える怖れがある計画的避難区域、
20km〜30kmの緊急時避難準備区域、
30km圏外の無指定区域、
さらには局所的に高濃度の放射線が検出された特定避難勧奨地点。
市内が被曝の危険度によって“寸断”されている状態である。
もっとも同心円状のエリア分けは科学的にはほとんど無意味で、
緊急時避難準備区域にある幼稚園の屋上で
毎時33マイクロシーベルトの高濃度放射線が検知されるなどしている。
そのため、市では8〜9月の二ヵ月を「除染月間」と定め、
東大アイソトープ総合センターの協力を得て放射性汚染物質の除去を進める。
「将来的にできるだけ多くの市民に帰ってきてほしい。
同時にいつまでも住める町にしたい」(桜井勝延市長の言葉)という。
一夜明けても原ノ町駅前は閑散としていた(写真上)。
とても人口が7万人ちかくいる町の中心商店街とは思えない。
一時、屋内退避区域に指定されていたこともあるのだろう、
歩いている人の姿がほとんど見られないのが異様に感じられる。
このあたりは現在は緊急時避難準備区域に指定されている。
シャッターを閉めた店が目立つのは震災前からだったのかもしれないが、
避難した人が多く商売にならないのも間違いないだろう(写真中、下)。
ぼくは3.11以降、津波による被災地をめぐってきたが、
原発事故による被災地は全く光景が違う。
町並みがほとんどそのままであるだけに却って凄惨に感じられる。
昼食をとるため喫茶店に入ったら、
一組の客は経営者の女性と「除染」についての話をしているし、
隣のテーブルの女性客二人連れは義援金の受け取りについて喋っていた。
目に見えない放射能による「被災地」の現実が実感された。
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