貧乏性

きょうの東京はよく晴れた爽やかな日曜日。
でも、ぼくは相変わらず仕事、編集室に缶詰になっている。
仕事をしているところは編集室がずら〜ッと並ぶフロアなのだが、週末は静かだ。
ウィークデイでの編集を基本にしている番組がけっこうあるのだろう。
放送局に土曜・日曜なんてないと考えてきた古手のテレビ屋にとっては、何となく面白くない光景である。
そんなぼくの心情を見透かしたように、
いつもコンビを組んでいる編集マンの「ほっちゃん」が
「(我々も)日曜くらい休んでもいいんじゃないですかね」とぼそっと云う。
それを聞いて憑き物が落ちたような気になった。

昔は○○したものだ…などと言い出すのは年寄り臭いが、ぼくももう50代半ばだから勘弁してもらおう。
ぼくの駆け出し時代、30数年前のローカル放送局は、たぶんいまより遙かに忙しかった。
編集マンや効果マン(効果音やBGMをつける)はローカル局にはいないから、自分でやるしかない。
ぼくはドキュメンタリー志向だったから、
新人時代から「オール・フィルム」(スタジオを使わない映像構成番組)をやりたがった。
そうすると、15分の番組を作るのに、
映像編集で一日、音作り(効果音を作ったりBGMを選曲したりする)で一日、
台本作り(ナレーション書き)でも一日…結局、連続三日間ほぼ徹夜をして番組を作るハメになる。
好きで仕事をやっているのだからそれがアタリマエだったのだが、
気がつけば、いつのまにかそれが習い性になってしまったようである。
その後も人手不足のローカル放送局での仕事が長く、
2000年に東京に戻ってきてからも予算に乏しい「ETV特集」を作り続けてきたので、
云ってみれば“貧乏性”が身に染みついてしまったのだろう。
編集はいつも最低限ぎりぎりのスケジュールで設定して、週末も仕事をするのが当然だと思い込んでいた。
おなじ「ETV特集」でも
ディレクターによってはリサーチャー(資料集めや下調べを担当する)を雇うが、
ぼくは一度もなくて(…そもそもそういう発想がない)、一から十まで全部自分でやっている。

しかし、ふと気がつけば、
週休二日までは望まないとしても、
編集期間中に日曜日くらいは休んでも制作経費(直接経費)は変わらない。
若い人たちに「(ベテランだから)楽をしている」と言われたくない一心で、無理を重ねてきたのである。
でも、もう50代半ばにもなれば、そんなにつっぱらなくてもいいよな。
次回作からは、日曜日は休むことを前提にスケジュールを組んでみようかなと思う。
たぶん次は編集期間がゴールデンウィークにぶつかるので、
暦通りというわけにはいかなくて、やっぱり休日出勤の連続ということになるのだろうが…



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