写経・のようなもの

釧路(羅臼)から帰ってきて、中一日で北海道にとって返し、現在札幌で取材中。
あすは安平から再び平取(日高)に入る予定だ。
今回は、沙流川総合開発計画(二風谷ダム&平取ダム)の、
高度経済成長の時代に立案され、最近工事が「凍結」されるまでの40年間の歴史を検証しようという企画。
2月放送で60分番組の予定だが、材料がふんだんにあるので90分にグレードアップするかもしれない。
(視聴者にとっては60分のほうが見やすいはずで、ちょっと考えどころだ。)

ぼくの仕事の“流儀”は、可能な限り取材の「量」を稼ごうというもので、それは今回も変わらない。
特に心がけているのは、
その当時のリアルタイムの映像やインタビュー、あるいは報告書や議事録など、
残されている一次資料を丹念にあたるところから40年という歳月の紆余曲折を見つめようということだ。
映像については、ぼく自身が20年前から10年前まで撮影=記録を続けていたので材料には事欠かない。
だから、取材の主眼は、
過去の報告書や、ダム問題について有識者と地元代表らで議論したときの議事録ということになる。

普通であれば残された資料を全部コピーしてから読み込んで、
ポイントをマーカーでチェックしていくということになるのだろう。
しかし、ぼくは、こういう場合、
資料を読んで重要だと思うところを逐一パソコンに書き写していくという方法をとる。
漢字や仮名遣いも原文のまま、一字一句違えずに打ち込んでいく。
当然膨大な手間がかかるし、仕事の進め方として決して合理的とはいえないだろう。
だが、「書き写す」という一見ムダなことを積み重ねていると、
それによって事態が腑に落ちるというか、何かしら見えてくるものがあるものだ。
ただ読むだけなら読み飛ばしてしまいそうな、“言葉の奥にあるもの”が見えてくる。
それは、人が「写経」をすることの意味とどこか似かよっているのかもしれない。

昼間は人と会って、夜に宿に戻ってから資料を読んで書き写していく仕事をする。
当然素面ではないから(笑)、やっているうちに意識を失ったりもする。
今回はすべてが雪に覆われないうちに撮影をしたいというので既にロケを始めているが、
できるならば、こうした事態を読み込んでいく作業にもっと徹底して時間をかけたい。
きょう1970年代に書かれた分厚い報告書を借りてきたので、これから何日がかりで読んで要点を書き抜く。
沙流川のダム計画について学術的に調べた、おそらくは最も古い報告書である。
ダムができたらどういう事態が予測されるのか、
ダムが短期間のうちに堆砂で埋まってしまう可能性が強いことなどが指摘されている。
いま明らかになっている問題点のほとんどは、この時点ですでに認識されているのではないか。
だとすれば、なぜダム計画はその後30年以上も止まらなかったのか、それがポイントになるはずだ。

コメント

  1.  ふと思い出しましたが、作家の浅田次郎さんが小説修行をするのに、好きな作家の小説を一字一句違い無く書き写していた、と言う話を何かで読んだことがあります(確か本人のエッセイ)。

     書くという作業はやはり大事なのでしょうね。

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  2. >僻地外科医先生

    「書く」という行為は絶対大切だと実感しています。
    でも、ぼくは筆圧があまりにも強いので、
    ペンや鉛筆で書いていると腕が疲れてしょうがありませんでした。
    その点、キーを打つのは格段に楽で、
    パソコンを使うようになってからこういう仕事の仕方になりました。
    パソコンさまさま、というところです。

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