2009年6月2日火曜日

「一万三千人の容疑者」

近所の(というか、我が家から歩いていける)名画座「ラピュタ阿佐ケ谷」で、
「昭和警察物語 銀幕に吠えろ」と題した
日本映画の旧作の連続上映を行っている。
48席のミニシアターで、
小さ過ぎて
画面が見にくい(前の席の客の頭がひっかかる)のが難だが、
企画(映画のセレクション)がとてもいいので
気に入っている映画館である。
この映画館で1965年の東映映画「一万三千人の容疑者」を観た。
例によって、事前知識をほとんど持たないまま、
なんとなく題名が気に入って観たのである。

お馴染の「怒濤+東映の三角マーク」の前に、
当時の社長・大川博から観客に宛てたメッセージが出る。
社長自ら、この作品を作るに至った動機を申し述べているわけで、
それだけで充分異色作だとわかる。
見始めるとすぐに気がつくのだが、
これは1963年に起きた「吉展ちゃん事件」をモデルにしたもので、
監督は“社会派”の関川秀雄。
主演は「七人の刑事」で刑事役が板についた芦田伸介である。

「吉展ちゃん事件」と云えば、当時7才だったぼくの記憶にも鮮烈である。
「誘拐」という犯罪の恐ろしさをセンセーショナルに印象づけたものだった。
確か、吉展ちゃんの遺体は寺の灯籠の下(?)かなんかで発見されたはず、
そのときのテレビ・ニュース(だったのだろう…)を見たときの
恐怖感はいまも生々しい。
犯人が「小原保」といったことを
…事件当時の記憶ではないにせよ…いまも憶えているくらいだ。

映画が始まると、
事件の舞台になった東京下谷(?)の空撮…賑やかに子どもたちが遊んでいる。
そこに、重々しく引きずるような伊福部昭の音楽が重なる。
いつものように根の暗い伊福部さんの音楽が聞こえてくると、
「これから始まるのは大変な物語なんだ。心して見なきゃいけないんだ」
という気にさせられてしまう。
旋律はときに「ゴジラ・マーチ」に似るが、
考えてみれば、
ちょっと聞いただけでそれと判るほど
個性的な映画音楽を作り続けた人は他にはいない。
映画「一万三千人の容疑者」にとって、
ときに過剰な伊福部さんの音楽が
一方の主役といってもいいほどの存在感を持つ。

ストーリィは
「戦後最大の誘拐事件」の顛末を愚直なまでに淡々と描き出していく。
誘拐された子供の両親に扮した小山明子と神山寛の健気さがとてもいい。
芦田伸介や織本順吉、
捜査一課長役の稲葉義男ら刑事役の役者たちにもリアリティがある。
そして、
刑事たちに「天性の嘘つき」と評される犯人(小原保役)に扮した、
若き日…無名時代といっていいのか?…の井川比佐志さんが素晴らしい。
井川さんの「うちひしがれた農民の顔」(失礼)に
得も言われぬ説得力があるのだ。
ぼくは、二十年ちかく前、
井川さんに番組のナレーションをお願いしたことがあって、
そのとき一緒に食事をしたおりに
「小原保に扮した映画がある」というお話をうかがったような気がする。
記憶違いでなければ、
二十年ちかい歳月を経て、その映画に巡りあうことが出来たわけである。

「一万三千人の容疑者」は、
とりたてて「隠れた傑作」と騒ぐほどのものではない。
だが、妙に生々しく心に残る小品である。
映画はときに作り手の意識を超えて「時代の証人」となり得る。
これはその一例なのかもしれない。

映画を見終わって、
「ラピュタ阿佐ケ谷」ちかくの居酒屋「温燗屋」で一杯。
まだ三十代の女将が和服に割烹着姿で甲斐甲斐しく働く、
好感の持てる店である。
山形は鶴岡の地酒「栄光富士」の純米吟醸を初めて飲んだ。
ぼくは山形こそ至高の酒どころと信じて疑わないのだが、この酒も実に旨い。
ラベルに英語で「Glorious Mt.Fuji」と
情けないほどの直訳で記してあるのが御愛嬌である。

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