2009年5月28日木曜日

イーストウッド賛江(「グラン・トリノ」)

クリント・イーストウッドの最新作
「グラン・トリノ」を観た(新宿ピカデリー)。
またしても傑作である…
まったくもって、
この爺さん(79歳になったはずだ)には脱帽するしかない。

妻に先立たれ、
息子たちの家族にも疎まれながら一人暮らしを続けている、
偏屈で頑固、
そのうえ人種差別主義者の爺さんが監督兼主演のイーストウッド。
舞台はミシガン州らしいが、
爺さんが住む界隈からは白人の居住者が減っており、
町が有色人種だらけになるのを苦々しく思っている。
息子がトヨタのセールスマンなのも、
元フォードの組立工であった爺さんには我慢が出来ないようだ。
(「グラン・トリノ」は1970年代のフォードが生んだ名車…である。)
ストーリィは、
この偏屈爺いと、
隣家に越してきたモン族(=苗族)一家との交情を描いていく。
というと、ハート・ウォーミングな物語のようだが、さにあらず。
爺さんは朝鮮戦争の英雄だが
当時の残虐行為をトラウマとしていまだに引きずっており、
モン族の人々は
ベトナム戦争でアメリカ側に加担した結果として難民となり、
アメリカにやってきた。
しかし、アメリカ社会に容れられず、
若者たちの多くはギャングとなって刹那的にその日を暮らしている。
そうしたアメリカ現代史の暗部への目配りが
この作品を重層的なものにしている。
スターはイーストウッド一人で
予算もそれほどかけているとは思えない「小品」なのだが、
観た後の手応えはがつんとしたもので、打ちのめされる。

イーストウッドの演出は、いつもながら奇を衒った何ものもない。
テンス(時制)が前後することもなく、
徒に映像美に走るわけでもない。
いつものように無駄のない、
むしろストイックな文体で、物語を語り込んでいく。
要するに「わかりやすい映画」なのだが、観終わった後の感銘は深い。
云わば「楷書」の映画で、
一点もゆるがせにすることなく、
きちんと登場人物の人間像を彫り込んでいく。
それがイーストウッド映画の、
最大の、そして孤高とも表現すべき魅力だとぼくは思っている。
「風格」という言葉は、
いまやイーストウッドのために用意されたものであるかのようだ。

この「グラン・トリノ」について、
イーストウッドは
インタビューに応えて自身の最後の出演作だと表明しているらしい。
最近の自分が主演した映画の常で自らの老いを強調しているが、
現実のイーストウッドは
これだけの質の作品を連打するだけのタフネスの持ち主なので、
信用はできない。
ただ、この作品の主人公が
イーストウッドが演じ続けてきた人物像に
ひとつの決着をつける存在であるのは確かで、
クライマックスで単身ギャングたちと対峙する姿には、
永年、彼が演じてきた様々なヒーローたちの姿がオーバーラップする。
ぼくは、服の下に鉄板でも仕込んでいるのではないかと、
半ば本気でそう思っていたくらいなのだ。

「グラン・トリノ」は、
アメリカ社会の現在(いま)を描きながら、
「老い」という普遍的なテーマにまで突き抜けた傑作である。
ぼくは一人の映画ファンとして、
イーストウッドと同時代に生きていることを無上の喜びと思う。
早くも次回作(モーガン・フリーマンがマンデラを演じているらしい)が
楽しみでならない。




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