医療と福祉の “隙間”

岩手県藤沢町では桜が咲き始めていた。

藤沢は一関から車で40分ほどの山里である。
かつて16000人を数えた人口はいま1万人を割っている。
町の真ん中にあって一際目立つ赤い屋根の建物が
国保藤沢町民病院。
その左に見えるのが特別養護老人ホーム、
右側が老人保健施設である。
三つの建物は廊下で結ばれ、
医療と福祉の一体化を推し進める
藤沢町の姿勢を象徴的に物語っている。
町役場はボロボロの木造の建物で、
(老健の前に見える青い屋根の建物だ)
この町が何にお金をかけてきたかが一目瞭然だ。



ところが、この町の「医療」と「福祉」のあいだには奇妙な隙間がある。

左の写真を見ていただきたい。
左は昭和57年に建設された特別養護老人ホームで、
右が同時に作られた診療所(現在の町民病院の前身)である。
二つの建物のあいだには15cmほどの隙間…文字通りの隙間がある。
金属の板を架け渡して行き来できるようにしてあるが、
二つの建物をつなげて作ることは国が許さなかった。
福祉と医療を一体化した行政を推し進めようとする藤沢町に対し、
当時の厚生省は、

「福祉は行政が恩恵的に施すものであり、
 医療は経済行為なので、
 福祉施設と医療施設を連結することなどあり得ない」

との立場を崩さなかったである。
「医療福祉センター」という名前にまでクレームがついたという。
結局、藤沢町では、
二つの建物を15cm離して建設せざるを得なかった。
ふだんは繋いで使っているが、
国が視察に来るときは板を外し、
急きょ柵を取り付けて別の建物に“偽装”したのだという。

いま「医療と福祉の連携」は国によってむしろ推奨されているのだが、
それが当時の現実だった。
藤沢町では、苦い歴史を忘れないために、
いまも当時の“傷跡”がそのままに残してあるのだという。

コメント

  1. 傷跡を残しておくセンスは素晴らしいです。
    当時、いづれ誰にもわかる傷であることをわかる方が
    おられたのでしょう。
    もしかすると建物が一緒でも入り口だけ別にした薬局も...

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  2. 僻地外科医2009年4月14日 13:52

    狭間じゃなくて隙間かぁw

    国が作った狭間を隙間レベルまで埋めたと言うことですね。国が作った狭間の方も早く解決して欲しいものですが・・・。

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  3. コメントありがとうございました。

    >ガラシャ!さん

    この「隙間」をみたとき、
    佐藤守元町長の「藤沢の医療は国や県との戦いの歴史だった」という言葉が、
    まさに「視覚的に」納得できました。
    この「傷跡」だけは必ず見て帰ってくれという、
    元町長はじめ藤沢の人たちの“怨念”の深さを思い知りました。

    >僻地外科医先生

    今回の岩手ロケでは、
    「行政」っていったい何をしてきたんだろう?…との思いを深くしました。
    制度的な帳尻を合わせるためだけに、
    どれだけ多くの人がどれだけ不毛な努力を続けてきたことか…

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  4. 藤沢町民病院の佐藤です。
    佐藤守町長は徹底した自治主義者でした。
    藤沢町民1万人だけが利用する施設が国の補助金,県の認可が無ければ何も出来ないことを嘆くのではなく,変えようとしていました。
    身近な問題は身近な人々が開かれた場所で決めていくことがどれほど重要か実感しています。
    なお,小さなことですが医療福祉センターではなく,福祉医療センターが正式名です。
    今日は岩手県議会県政調査会に招かれております。少し悩みましたが,やはり持論の自治と医療に関しても触れることにして,資料を作成しました。
    それでは,また。

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  5. >佐藤元美先生

    先日はありがとうございました。
    確認をせず、書いてしまい申し訳ありませんでした。
    「福祉医療センター」…「福祉」が先に来るわけですね。
    そこにも思想が込められているのでしょう。
    佐藤守さんについては、
    改めてじっくりお話をうかがう番組ができないものかと考えています。

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