岩手県藤沢町で二人の「佐藤さん」に会った。
県立病院が撤退した後の藤沢に、国や県の意向に背いて町立病院を作った元町長の佐藤守さん(76歳)。
そして守さんに請われて藤沢に着任し、
医療=福祉連携のモデルケースと云われる医療を築き上げた佐藤元美・藤沢町民病院院長である。
夕張市立診療所の村上智彦医師がかつて一年間この病院で働いており、
村上さんから始終お二人の話を聞かされていたので、初対面という気がしなかった。
守(元町長)さんは、
「医療」と「福祉」「保健」は一体でなければならないという、藤沢町がいまも堅持する「哲学」を生み出した人である。
当時の藤沢町は県立病院がなくなって入院ができなくなり、町民は地元で死ぬことができなかった。
乳幼児健診を行ったり、学校を作ったり、「生まれ育つ命」を守る政策には懸命に取り組んでも
「消えていく命」を大切にしないような町では、住民の町を愛する気持ちは育まれないと考えたのである。
本来、その土地で暮らす住民の視点に立てば、「医療」「福祉」「保健」の区別はない。
国の制度がそれらを分け隔て、違う担当部署が担当しているというだけの話である。
だから、「医療」「福祉」「保健」を一体にした町を作ろうという守町長の取り組みは、
必然的に縦割り行政との激しい戦いになった。
その守さんの志操に応えて藤沢町にやってきた元美院長が、
病院と特別養護老人ホーム、介護老人保健施設を一体的に運用し、訪問診療に力を入れる現在の藤沢システムを完成させた。
この先進的な「医療+福祉+保健=地域医療」のあり方を学ぼうと、
かつての村上医師のように、全国から志ある若い医師たちが集まってくる。
しかも、黒字経営を実現し、財政難の町に寄与している。
元美院長は、
昨今の「医療崩壊」をめぐる行政の対策(例えば岩手県の県立病院再編もそのひとつなのだが…)やマスコミの論調が、
救急患者の所謂「たらいまわし」など、急性期の医療の問題しか考えていないことに疑問を持っている。
「病気になるのを待って初めて対応する」医療、
「病気が治ってしまえばあとは関係ない」という医療には本質的な限界がある。
病気を治すことはできても患者の人生をよりよくすることに貢献できない急性期医療とは、
なんとも貧弱なものではないか…という。
高齢化が進む過疎地ばかりを訪ね歩いてきたぼくには、この言葉の意味がびしびしと伝わる。
藤沢町の二人の佐藤さんの話を聞いて、今回の医療再編をめぐる混迷を俯瞰する確かな視点を持てた気がする。
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