取材は「質」より「量」が重要だ。

広い岩手県を駆けずりまわって、
医療の問題(県立病院の規模縮小)について様々な人たちの話を聞き歩いている。

取材に行くときには、「これはこーゆーことではないか」という「仮説」を抱いていく。
しかし、そうした「仮説」は、いつも現実の前に木っ端みじんに打ち砕かれてしまう。
現実はこちらが思うほど単純明快なものではないからだ。
一方の当事者からみた“真実”が、もう片方からみたらまるっきり違ったものに見えたりする。
だから、ぼくの「仮説」は、一人会うごとに修正…少なくとも微調整を余儀なくされてしまう。

そして、この商売をしていると、それが何より「面白い」ことなのである。
現実は「八幡の薮知らず」みたいなもので、そこに足を踏み入れると必ずや道を見失う。
だからといって、当初考えていた通りの枠組に「現実」を押し込んでしまうのでは意味がない。
うるさいことを云えば、最近はそういう予定調和的な番組が目立ち、10分も見れば結末が読めてしまう。
ぼくはそうした番組だけは作りたくないと思ってやってきた。

とすれば、取材の「量」を重ねるしか手立てはないはずだ。
一人でも多くの関係者の話を、聞いて聞いて、調べて調べて、
ものごとの「構造」が…矛盾は矛盾としながら…自分で腑に落ちるまでやるしかない。
取材のたぶん90%は結果として番組には出ない。
ある意味では無駄になってしまうのだが、
その90%の無駄を積み重ねたかどうかが番組のクォリティを決定的に左右する。
経済的に云えば不合理な話だろうし、
五〇を過ぎた身には疲労が蓄積していくことにもなるのだが、そこで手を抜きたくはない。
誤解を怖れずに云えば、取材は「質より量」だ。
言い換えれば、取材の圧倒的な「量」を積み重ねた後に、初めて「質」の問題が出てくるのだと思う。
撮影までの残り時間は一週間になってしまったが、まだ自分で“納得”がいかない。
だから、駆けずりまわって、無駄に無駄を重ねていくしかない。

きょう遅く東京に帰ってきて、明日は打ち合わせで北海道。
来週にはもう一度岩手に入って、多くの人に会ってくるつもりだ。

コメント