遠野の訪問診療 24年の歩み

きょうは県立遠野病院の貴田岡博史院長を訪ねた。
180床の病院の院長でありながら積極的に訪問診療を行い、
無床化された大迫や住田診療所の支援にも乗り出していることで名前を聞いていた。
岩手県の医療再編の成否の鍵を握る人物ではないかとあたりをつけて、話を聞きに行ったのである。
お話をうかがっていると、
貴田岡院長から、今夜、訪問診療の関係者の懇談会があるので出てみないかと誘われた。
18時半に指定された場所にうかがうと、
院長、事務局長、看護師長ら県立病院の幹部に加え、
本多敏秋市長を始めとする市の幹部、社会福祉協議会のメンバーが一堂に会するパーティーである。
突然、挨拶を求められ、焦ってしまった。

遠野市の「訪問診療」の歴史は1985年に始まる。
退院していった高齢の患者がじきに病院に来なくなるケースが多いことに着目したのがきっかけだった。
調べてみると、農繁期には家族の介護の手が回らず、高齢者を寝かせきりにしている場合が多い。
高齢者は十日も寝ていると心身の機能が衰え、
起き上がることができなくなって、病院にも来られなくなるのである。
そこで、貴田岡医師(当時は副院長)ら病院のスタッフの方から患者のもとに出向くことにした。
ユニークなのは放射線技師や検査技師、ケースワーカーから会計担当まで一緒に行って、
その場で本格的な健康診断を行い、治療や介護の方針決定、診療費の精算までをしてしまうことである。
訪問診療を行うのは県立病院のスタッフだが、
県当局は全く関知せず、遠野市役所の若い職員が運転手を務めるなどして支えた。
市で10人乗りの車とポータブルのレントゲン機器を購入、
レントゲンのフィルム代なども市の予算から出していたという。
当時、レントゲン機器を家庭にまで持ち込むのは違法で、
厚生省から中止するよう指導されたこともあったらしいが、貴田岡医師らは意に介さずに続けてきた。
それから24年、7〜80軒を年に三回ずつまわって、
走行距離は12000km…地球の円周の1/3にも達したという。
貴田岡医師はその他に月一回程度の「往診」(通常の意味での訪問診療)を行っている。
1985年当時は若手だった市職員が、いまは幹部クラスとなって、
貴田岡院長とともに医師の招請に動くなどして県立病院の医療を支えている。
現場主導で動かした来たことだから、市長が替わっても方針がぶれることはなかったという。
(いまの本田市長は、地元の県立病院を市が支えるは当然だと考えている。)

…この話、けっこう感動したなあ。

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