飯舘村からの報告

放射線防護学者の安斎育郎さんら、
専門家集団「福島プロジェクト」とともに飯舘村に入った。


「福島プロジェクト」についてはこのブログでも何度か書いた。
福島の住民の要請に応えて、
放射線量の調査や被ばく軽減のアドバイスを行なっている。


原発事故以降、毎月一度続けてきた活動だが、
最近は帰還困難区域など
放射線量が高い地域の住民からの相談が増えてきている。
事故以来5年が経過して、
この先、故郷への帰還を目指すのか、
それとも思い切って新しい生活に踏み切るのか、
人生の岐路に差しかかっているということかもしれない。

16日金曜日。
午前中に飯舘村比曽地区の畜産家・Nさん宅を訪ねた。
比曽は帰還困難区域の長泥地区に隣接していて、
来年春には避難指示が解除される予定だが、
飯舘村のなかでも線量が高いところの一つである。
Nさん宅は長泥に近く、原発事故で著しい汚染に晒された。
既におととし環境省による除染作業が完了しているが、
今年の3月に安斎さんらが調査に訪れた時点で
家を囲む斜面に最大毎時5μSv超の空間線量が残っていた。
そのため、室内でも毎時0.6〜0.8μSv、
斜面に近い奥の部屋の窓際では1μSvが計測された。
ここで生活したときの推定被ばく量は
政府が避難の目安としている年間20mSvは下まわるだろうが、
安斎さんによれば「帰還はお勧めできない」線量である。

環境省では
斜面については草を刈り、落葉などを掃きとるだけで、
表土の剥ぎ取りは行なっていない。
理由を訊いてもどうも判然としないのだが、
Nさんは作業に危険が伴うからだと聞いたという。
他にも、
表土をマニュアル通り5cm除去したにも拘わらず、
比較的高い線量が残されているポイントが随所に見られた。
はっきりしたことは、
線量の高い地域においては、
環境省の「除染マニュアル」に従った画一的な除染では
充分な効果を期待できないということである。

その点については環境省でも認識していて、
Nさん宅については
このままでは帰還はおぼつかないと認め、
斜面を含めてもう一度除染することになった。
環境省では「再除染」は行なわないとしているので、
「フォローアップ除染」という言葉を使うが、
同じNさん宅をより徹底的に除染し直すことには違いない。
4月になると環境省の担当者が
綿密な除染計画案を携えてNさんを訪ねてきた。


「福島プロジェクト」からは
地元・福島学院大学の佐藤理教授(写真左)が立ち会い、
環境省が見落としているポイントについて
実測調査に基づいた具体的なアドバイスを行なった。
環境省側も専門家の助言を採り入れて計画を練り上げ、
7月下旬から「フォローアップ除染」の作業に着手した。

それから2ヶ月近くが経った。
相次いだ台風の影響もあって作業が遅れ、
いまだにNさん宅の除染は完了していない。


それでも家の周囲の斜面の除染はおおよそ終わったので、
安斎さんらは改めて室内の放射線量を測定した。
その結果は、
毎時0.3〜0.4μSvで3月に比べれば半減していた。

放射能汚染に不安を拭えない一方で、
Nさん夫妻にはここに帰ってきたいとの思いが強い。
戦後開拓から始まった土地の歴史を
自分の代で断ち切りたくないというこだわり。
このあたりは土の中に大量の巨石が埋まっているので、
開墾と営農はまさに石との戦いに終始した。
(いまも畑の片隅には巨大な岩がいくつも残されている。)
半生をかけた苦闘を無駄にしたくはないという思いもある。
安斎さんは、Nさんの思いに応えて、
空間線量と室内の線量から一年間の推定被ばく量を試算した。
その結果は年間およそ5mSv。
(日本人の平均的な内部被ばく量を含んだ数字)
安斎さんによれば、
この数字はフランスの自然放射線による被ばく量とほぼ同じ。
「フランスに移住したつもりになれば帰れますよ」という。

愁眉を開いたNさん夫婦だが、まだ課題が残されている。
依然として除染が不充分な場所が残されているのだ。


家の裏側にあるこのスポットは
最初の除染時に何らかの理由で汚染土が集められたらしく、
表面で83900Bq/kg、
45cm掘っても16700Bq/kgの放射線が検出された(7月)。
環境省では
この言わば「作り出された汚染」を認識していなかったが、
「福島プロジェクト」からの指摘で除染を実施した。
青いテープで囲ってある一角が問題の場所で、
写真は今回撮ったものなのですでに除染は終わっている。
地表から推定30cmの土を除去したものと思われるが、
いまも空間線量にして毎時2μSvほどの汚染が残っていた。
さらに10cmほどは取り除かなければ、
Nさん夫婦が安心して近づける場所にはならないだろう。

環境省による除染では
逐一放射線量を確認しながら作業することはない。
なぜそうなっているのか理由はよく解らないが、
ともかく「しないことになっている」ということである。
だから業者が指示された通りの除染作業を終えても
実際には汚染が残されているケースが頻発することになる。
ぼくの経験からいっても、
汚染の形態と程度は家ごとに違っているので、
マニュアル遵守の画一的な除染では
期待した効果を上げられず、却って無駄が多くなる。
なぜ臨機応変に実効的な作業をすることができないのか、
率直に言って疑問が拭えない。

さらに家を囲む林の除染は行なわないことになっている。
Nさんが結婚記念に杉の木を植樹した場所もあり、
生活圏の一部に違いないのだが、
環境省では
家から20m以上離れた林は「生活空間」と認めていない。
生活空間ではないので除染の必要はない、との理屈だ。
もっとも、「森林の除染」については安斎さんも懐疑的。
重機が使えないため、
人力で表土を剥ぎ取るしかなく膨大な手間暇・金がかかる。
そのうえ、表土を剥ぎ取れば森林の持つ保水力が阻害され、
思わぬ災害を惹起することにもなりかねないからだ。

残された課題はまだある。
Nさんの仕事場である農地だ。
環境省では広大な畑の汚染土をすべて取り除き、
放射能に汚染されていない土に入れ替えた。
だから、土自体からはほとんど放射線は計測されていない。
ところが、空間線量は、
毎時1〜2μSvと依然として高いままなのである。
これは農地を囲む斜面など
周辺部の除染が行われていないためで、
(これもそういうことに決まっているらしい)
周辺からの放射線が影響して
実際に農作業を行なう畑の線量が高止まりしているわけだ。
仏作って魂入れず、の感を拭えない。
さらに、入れ替えた土の質にも問題があった。
村内の山を切り崩して採取した土で、
確かに放射性物質を含まない「きれいな土」なのだが、
小さな礫を大量に含んでいて農業には適さない。
Nさんの依頼を受けた安斎さんが調べてみたところ、
1m × 1m × 深さ5cmから採取した土71kgのなかに
小石が1.44kg(2%相当)あった。
Nさんによれば、
これでは畑作、特に根菜類の栽培には使えないという。
Nさんは抗議を申し入れ、
それに対して環境省は
畑の一部については土を再び入れ直すことにしたという。
従って、
来春に予定されている避難指示解除に応じて
Nさんが飯舘村に帰ったとしても、
すぐに農業を再開することはできそうにもない。
(それでなくとも、土作りに数年を要するはずだ。)

要するに、
飯舘村に「住む」ことはできても、
「生活」はできないという状態が予想されるのである。
帰還の希望を強く持ち続けているNさん夫婦だが、
すでに七十代に達していることを考えれば、
今後、帰還に二の足を踏む局面が出てくるかもしれない。
実際、避難指示が解除されても、
村に帰ってくる人は多くないだろうと見られている。
そうなれば、
巨費を投じた除染が
結果として無駄になってしまう事態も考えられなくはない。

こう書いてくると、
どうしても環境省に対して辛口になってしまうのだが、
「除染マニュアル」という“縛り”があるなかで
現場は最大限の努力をしているとぼくは思う。
それでも、飯舘村のように比較的線量の高いところでは、
実効性のある除染がなかなかできないのが現実だ。
Nさん宅にしても既に二回の除染を行ない、
二回目の除染だけで二ヶ月になろうとしているわけだから、
投入した労力、資金が莫大なものになるのは間違いない。
最終的には東電が費用を負担することになっているが、
除染費用に加えて
廃炉費用、補償金もかさむ一方で、
民間企業としてどこまで負担に耐えられるかは疑問である。
報道によれば既に除染費用の未払いが発生しているはずで、
それでいながら
黒字を計上している無責任さには憤りを禁じ得ないが、
東電が穴を空ければ、結局は、国が埋めるしかなくなる。
東電が払うとすれば私たちが払う電気料金が原資であり、
国で払うとすれば私たちの税金からだ。
原発は安全で安価なエネルギーだという“嘘”に踊ったツケが
今になって容赦なくのしかかってきているのは間違いない。

帰りたい人がいる以上、その思いに応えるのは、
結果として原発を容認してきた
私たちの社会が負うべき責務だと思うが、
それにしても、
帰還のために越えなければならないハードルはあまりに高い。
原発の存在が社会にとって重い負の遺産であったことを
いまさらながらに痛感する。


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