木陰の至福

きのう凡そ一ヶ月ぶりに釧路に帰ってきて、雑草の伸びのあまりに旺盛なことに呆然とした。砂利を敷いたところでも、砂利の表面が見えなくなるくらいびっしりと丈の低い雑草が繁茂している。


できるだけ何もせず、のんびりと休暇を過ごそうと思って帰ったのだが、これではおちおち休んでもいられない。結局、いつものように“忙しい休暇”になってしまう。

植物の生命力というのは実に旺盛なもので、短い北の夏に一気に溜めに溜めた力を爆発させるのである。5月の末にはまだ芽吹いたばかりだった庭の樹、ハルニレやヤチダモが青々とした若葉を生い茂らせている。玄関前に植えたヤマモミジの木は紅い花をつけていた。


齢六十にもなろうとしているのに、恥ずかしながらモミジの花を意識したのは初めてである。ずいぶん可憐な印象の、小さな花だった。

さて、きょうは満を持して雑草の駆除に取りかかる。まず除草剤を撒く。本当はこうしたものは使いたくないのだが、これだけパワフルな敵と鎌を武器に戦っていたのでは埒が明かない。続いて電動の草刈り器を使って家の南側の雑草をなぎ倒す。ここは本当はお隣の土地なのだが、雑草を刈るぶんには怒られはしないだろう。砂利のあいだから顔を出している芽はひとつひとつ指で摘み取ってやる。実にまぁ根気のいる作業である。

しゃがんだままでいる時間が長いので、だんだん腰が痛くなってくる。東京で鍼灸師をしているかみさんも一緒なので、後で鍼を打ってもらうことにしようか。


むさ苦しかった家の周りがこれでようやく少しすっきりとした。除草剤の効果が現われるのは数日後になるはずだから、そのときにはまた枯れ始めたのを手で取り除いてやることになる。しかし、次回帰ってきたときには新手の雑草たちが家を占拠しているに違いないので、本当にキリがない話である。

ちょうど作業が一段落した頃、朝からの霧が晴れて太陽が顔を出した。少し肌寒かったのが、とても気持のいい陽気になった。


ウッドデッキに愛用のロッキングチェアを持ち出し、揺られながらビールを飲む。この椅子はもう十五年くらい使っているものだ。目の前には、左からヤチダモ、右からはハルニレの若葉。木の葉を通してくる風が爽かで、心地よい。気温は17℃というところか。

中也の歌ではないが「手にてなす何事もなし」。
ぼくはこうした静かに流れていく時間が好きである。身近な自然を体感し、風と語らいながらぼんやりと生きられればそれでいい。こうした一瞬を愛でるために、故郷でもない釧路に家を建てる気になったのである。

しかし、「何もしない時間」にたどりつくためには、雑草取りだの、なんやかや忙しくしなければならない。人生とは思うようにいかないものである。

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