「戦場でワルツを」の重い衝撃

きょうの平取は−9℃まで冷え込んだ。
ダム湖は一面に結氷している。
町議会などの撮影をして、夕方には札幌に入った。
ロケ先で映画を観ることなど珍しいのだが、
今夜は札幌のミニシアター、「シアター・キノ」で「戦場でワルツを」を観た。
これは観ておくべきだと、映画の虫がぼくに知らせてくれたのである。

「シアターキノ」は市民出資の映画館で、かくいうぼくも株主の一人である。
株主には毎年招待券を送ってくれるのだが、東京にいては使いようがない。
この際だからと、スタッフ(カメラマン)も誘って一緒に観に行った。
いつものことだが、
戦争をテーマにしたイスラエル映画であること、
アニメーションを使ったものらしいこと以外には何も知らない、予備知識はほとんどゼロの状態である。

見始めてしばらくして、
これはアニメーションを駆使した一種の再現ドキュメンタリーであることに気がつく。
(エンドロールを見ると、登場人物はほとんど実在の人物で、声は本人のものであることが判る。)
証言など、実写で撮っておいて後でわざわざアニメーションに起こした気配もある。
アニメーションで表現することで、
夢と現実、現在進行形の話と過去がシームレスにつながって、独特の効果を上げている。
ぼくも映像を表現手段にしている人間のはしくれだから、
どこかで実写映像が出てくるはずだと思い、それはたぶんこういう映像だろうと予想がつくのだが、
それは非常に効果的に使われていた。

映画を観ているあいだは、むしろ技術的なこと、表現手段としてのアニメの可能性を批評的に見ていた。
しかし、映画が終わって、静かな音楽をバックにエンドロールが流れ始めると、
重い、衝撃にも似た感銘がぼくをとらえた。
体が映画館の椅子にずぶずぶと沈み込んでいって、二度と立ち上がれなくなるような気分。
言葉にならない、まさに「感銘」と表現するしかない感情の奔流にぼくは打ちのめされていた。

これは疑いなく映像表現の分野に新しい地平を開いた作品だが、
そんなことより何よりも、
「戦場体験」という極めてパーソナルな、しかし個人が背負うには重すぎる現実を、
国籍も年齢も、置かれた社会状況も違う、
しかし同時代を生きているぼくたち一人一人に生々しく追体験させるだけの力を持っている。
稀有な作品だと思う。

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