断捨離


きのうカメラを売った。
メインとして使ってきたソニーα7Ⅱのボディとフォクトレンダーのレンズ3本。フォクトレンダーは中堅レンズメーカーのコシナの製品で、シグマと並んでぼくの大好きなメーカーであり、レンズである。
ソニーのミラーレス(Eマウント)はフォクトレンダーのレンズを使いたい一心で買ったもので、ボディもレンズもまだ一年数ヶ月しか使っていない。むろん愛着もあり断腸の思いではあったが、体力が落ち込んできたことで、もう何本もの交換レンズをバッグに入れて本格的な撮影旅行に出ることもないだろうという理由である。
実際、5月にイタリア旅行をしたときもサブとして使ってきたオリンパスOM-D E-M5Ⅱを携えて行った。物理的に小さく、軽く、扱いやすいからである。

いま釧路に置いてあるもうひとつのメイン機、シグマsd QHのボディとレンズ4本も売却するつもりだ。写りに惚れ込んで手に入れたカメラを手放し、画質の面では一歩譲るカメラを残すのだからつらいが、(とはいえ、オリンパスの写りもかなり気に入っている)ソニー&フォクトレンダーも、シグマも、もとが高価だから、売ればそれなりの金額になる。
これからは気分転換を兼ねて一泊二日程度の温泉旅行を頻繁にするつもりでいるので、その費用に充当していくつもりだ。そうした旅には軽快なオリンパスと、交換レンズを2本ぐらい持っていくことになるだろう。

ぼくはまだ生きるつもりでいるが、残された時間に限りがあるのは確かなので、そのなかでやることを決め、あとは未練があっても諦めるしかない。まず最初に断念したのは「仕事」である。テレビのディレクター、とりわけぼくのようにドキュメンタリー志向が強い人間にとって、仕事は現場を駆け回る体力と集中力が勝負である。残念ながらいまの状態では長期のロケをこなすのは不可能だ。
ぼくは若い頃から、テレビのディレクターは歩兵と同じで、戦場で走れなくなったときが死ぬときだと考えてきた。とうとう自らの〝死〟を認めざるを得ない日がやってきたわけだ。

あとは長年の趣味であったスキューバ・ダイビング。去年まで細々と続けてきたが、そろそろ限界だろう。なんとか体調をコントロールできれば、あと一度か二度は知床や伊豆の海に潜りたいと思っているが、それも難しいかもしれないという諦めはある。もう少し体調を見るつもりだが、断念することになれば、知床と伊豆の二軒のダイビングショップに預けてある機材を
お願いして処分してもらわなければならなくなる。

そのほか、浮気願望も封印せざるを得ない状況だし(笑)、半世紀にわたる趣味の映画鑑賞も、残された時間のなかでどの映画を観るのか、優先順位を決めなければならない。我ながら妙な組み合わせだが、ヴィスコンティと加藤泰の映画を最優先にDVDや録画で見直していこうと決めた。(映画館に出かけていくのはなかなかつらい。)読書もそう。あれやこれやの乱読の余裕はない。新刊本に手を出すよりも、大好きな山田風太郎を中心に再読しようかと考えている。高音質・大音量での音楽鑑賞も断念。釧路に置いてある大きなオーディオ装置を置く場所は狭い東京のマンションにはない。音楽(や落語)はBluetooth接続の小さなスピーカー(B&O)を持っているのでそれで聴くつもりだ。

釧路での季節の移ろいを見つめながらの暮しも含め、ながいあいだ愛着や執着を抱いてきた多くのものを捨て、断ち切らなければならない。かっこよく言えば、人生の「選択と集中」。
人生をスリムにするときがやってきたようである。


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