最近作にして
あるいはぼくの“遺作”になるかもしれない番組、
ETV特集「忘却に抗う〜福島原発裁判・原告たちの記録〜」が
今夜23時からEテレで放送される。
昨年10月10日に福島地裁で一審判決が出た
福島“生業”訴訟の原告たちに取材をした番組である。
4年前にも東北ローカルで同じ人たちを取材しており、
そのときの映像を交えながら、
福島の人たちが過ごした7年間の歳月の重みを描こうと考えた。
今回の番組を作るに際して、
原告たちを対象にしたアンケート調査を行なった。
3824人の原告中連絡先の判るおよそ2000人にアンケートを送り、
505人から回答を得た。
回収率は高いとは言えないが、
回答者の多くが思いのたけを長文にしたためてくださったため、
ぼくたちは改めて福島の人たちの“本音”に触れる思いがした。
それは端的に言えば、
番組冒頭で紹介した福島市在住・60歳女性の言葉に尽きるだろう。
「福島の人たちは
誰にも話せないモヤモヤをいっぱい抱え込んでいます」
県外に避難しなかった子育て中の若いお母さんが、
福島で子育てするのは子どもたちへの虐待に等しいなどと
メチャクチャな批判を受けたことはぼくも鮮明に記憶している。
一方で、県外に自主避難をした人たちが、
「福島から逃げた」と理不尽な非難をされたのもまた事実だ。
少しでも放射線に対する不安を口に出せば、
「非科学的だ」などと決めつける人たちも最近は後を絶たない。
徒に放射線の危険性を言い募る人たちと、
一方で原発の安全性(?)を強調してやまない人たち…。
決して歩み寄ることのない両サイドの極論が声高に語られるなか、
福島の人たちは本音を語れなくなったという。
生産者と消費者、避難者と滞在者、
あるいは避難指定で多額の補償金を得た者と得られなかった者…
二重三重の分断が福島の人たちを苦しめ、疎外している現状は、
多くの回答者が共通して指摘している。
と同時に、複数の農家が、
最近よく耳にするようになった「風評被害」という言葉に
強い違和感と抵抗を感じているのも印象的だった。
「風評被害」という言葉は、
福島の土が汚染されたという明白な事実を覆い隠し、
東電や国を免罪することにしかならないというのである。
去年10月10日の福島地裁判決は、
原発事故を予見できたにも拘わらず必要な対策を怠ったとして
東京電力と国の責任を認めた。
同時に、国と東電が主張していた、
年間20mSv以下の放射線量では健康への影響はなく、
従って被害はないとする見解を否定した。
放射線量だけの問題ではなく、
社会心理学的な影響も考慮すべき「被害」としたのである。
その結果、
補償の範囲を国が定めた中間指針より広い地域に拡大し、
同時に金額の底上げを認めた。
金額的に言えば原告たちの多くは不満だと思うが、
東電はもちろん国の責任をも認め、
補償範囲を拡大する流れがこれで固まったのではないだろうか。
今月は、さらに京都、東京の両地裁、
福島地裁いわき支部で原発訴訟の判決が予定されている。
事故を起こした福島第一原発の廃炉はまだ先の長い話だが、
同様に被害の確定と責任の所在をめぐる論議もこれからが本番。
原発事故は決して過去の問題ではないし、
またそうしてはなるまい。
番組のなかで
原発事故であまりにも多くを失った一人の原告が叫ぶ
「だから声あげてるんだよ!」という悲憤を
ジャーナリズムの現場で生きてきた人間として胸に刻み込みたい。
そういう思いもあって、
ぼくは番組に「忘却に抗(あらが)う」との副題をつけた。
あるいはぼくの“遺作”になるかもしれない番組、
ETV特集「忘却に抗う〜福島原発裁判・原告たちの記録〜」が
今夜23時からEテレで放送される。
昨年10月10日に福島地裁で一審判決が出た
福島“生業”訴訟の原告たちに取材をした番組である。
4年前にも東北ローカルで同じ人たちを取材しており、
そのときの映像を交えながら、
福島の人たちが過ごした7年間の歳月の重みを描こうと考えた。
今回の番組を作るに際して、
原告たちを対象にしたアンケート調査を行なった。
3824人の原告中連絡先の判るおよそ2000人にアンケートを送り、
505人から回答を得た。
回収率は高いとは言えないが、
回答者の多くが思いのたけを長文にしたためてくださったため、
ぼくたちは改めて福島の人たちの“本音”に触れる思いがした。
それは端的に言えば、
番組冒頭で紹介した福島市在住・60歳女性の言葉に尽きるだろう。
「福島の人たちは
誰にも話せないモヤモヤをいっぱい抱え込んでいます」
県外に避難しなかった子育て中の若いお母さんが、
福島で子育てするのは子どもたちへの虐待に等しいなどと
メチャクチャな批判を受けたことはぼくも鮮明に記憶している。
一方で、県外に自主避難をした人たちが、
「福島から逃げた」と理不尽な非難をされたのもまた事実だ。
少しでも放射線に対する不安を口に出せば、
「非科学的だ」などと決めつける人たちも最近は後を絶たない。
徒に放射線の危険性を言い募る人たちと、
一方で原発の安全性(?)を強調してやまない人たち…。
決して歩み寄ることのない両サイドの極論が声高に語られるなか、
福島の人たちは本音を語れなくなったという。
生産者と消費者、避難者と滞在者、
あるいは避難指定で多額の補償金を得た者と得られなかった者…
二重三重の分断が福島の人たちを苦しめ、疎外している現状は、
多くの回答者が共通して指摘している。
と同時に、複数の農家が、
最近よく耳にするようになった「風評被害」という言葉に
強い違和感と抵抗を感じているのも印象的だった。
「風評被害」という言葉は、
福島の土が汚染されたという明白な事実を覆い隠し、
東電や国を免罪することにしかならないというのである。
去年10月10日の福島地裁判決は、
原発事故を予見できたにも拘わらず必要な対策を怠ったとして
東京電力と国の責任を認めた。
同時に、国と東電が主張していた、
年間20mSv以下の放射線量では健康への影響はなく、
従って被害はないとする見解を否定した。
放射線量だけの問題ではなく、
社会心理学的な影響も考慮すべき「被害」としたのである。
その結果、
補償の範囲を国が定めた中間指針より広い地域に拡大し、
同時に金額の底上げを認めた。
金額的に言えば原告たちの多くは不満だと思うが、
東電はもちろん国の責任をも認め、
補償範囲を拡大する流れがこれで固まったのではないだろうか。
今月は、さらに京都、東京の両地裁、
福島地裁いわき支部で原発訴訟の判決が予定されている。
事故を起こした福島第一原発の廃炉はまだ先の長い話だが、
同様に被害の確定と責任の所在をめぐる論議もこれからが本番。
原発事故は決して過去の問題ではないし、
またそうしてはなるまい。
番組のなかで
原発事故であまりにも多くを失った一人の原告が叫ぶ
「だから声あげてるんだよ!」という悲憤を
ジャーナリズムの現場で生きてきた人間として胸に刻み込みたい。
そういう思いもあって、
ぼくは番組に「忘却に抗(あらが)う」との副題をつけた。
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