安斎育郎さん・平和へのメッセージ

福島で長いあいだ一緒に行動させていただいた放射線防護学者の安斎育郎さんには、もうひとつの肩書きがある。「平和学」の研究者というもので、今年の「原水爆禁止世界大会・長崎」では、7日、世界から集まった6000人の聴衆を前に、主催者を代表して報告を行なった。

安斎育郎さん(77)

その報告が安斎さんらしいウィットに富んだもので、面白く、かつ知的刺激に充ちている。ご許可をいただいたので、長文になるがここに原稿の全文を掲載する。


皆さん、こんにちは。台風のなかをようこそ原水爆禁止世界大会・長崎にご参加いただきました。まずは、主催者を代表して、原水爆禁止2017年世界大会が国際会議を皮切りに成功裡に進められ、国内外の核兵器廃絶への熱い思いを総結集して、ここ長崎大会に至っていることをご報告申し上げます。

今年は、長崎への原爆投下から72年目に当たります。私はこれから少し変わった話をしますが、皆さんが出来るだけ話についてきてくれることを期待します。私は数学好きということもあって、「数」を見ると脳にビビビッと電撃が走ります。そして、原爆投下から72年目の「72」という数にも格別の思いがあります。皆さんにとってはやや奇妙な話に聞こえるかもしれませんが、ちょっと忍耐の精神を発揮していただくことを期待します。

実は、72という数は数学者の間では「最小のアキレス数」として知られています。いったい「アキレス数」とは何か?72は「9×8」ですが、9は3の2乗、8は2の3乗です。世界大会で算数の勉強をしようとは思いもよらなかったかもしれません。つまり、72は「3の2乗」×「2の3乗」なのですが、このように「aの2乗」×「bの3乗」という形で表される数は英語で「パワフル・ナンバー」と呼ばれています。一方、例えば「36=6の2乗」とか「81=3の4乗」というように、すっきりと「aのb乗」の形で表される数は英語で「パーフェクト・ナンバー」と呼ばれていますが、72はこのような形で表すことは出来ません。つまり、72という数は「パワフル・ナンバー」だが「パーフェクト・ナンバー」ではない、「パワフルだがパーフェクトではない」のです。日本語で言えば、「強力だが完璧ではない」という意味です。
実は、このような「パワフルだがパーフェクトではない数」の最小値が72で、このような数のことを数学者は「アキレス数」と呼んでいます。

皆さんは「アキレス腱」という「かかと」のところにある腱をご存じだと思いますが、その名前はギリシャ神話に登場する英雄アキレスの名前に由来するものです。アキレスの母は、わが子アキレスを不死身の体にしようと、この世とあの世を分ける神の川「ステュクス川」の水に
アキレスの体を浸しましたが、その時、母親がつかんでいた「かかと」だけ水に浸らず、そこが致命的な弱点となってしまいました。アキレスは長じてトロイア戦争で活躍しますが、弱点のかかとを弓で射抜かれ、それが致命傷となって命を落としました。この「強かったが完璧ではなかったアキレス」の名前が今日「アキレス腱」として残り、「72」のようなパワフルだがパーフェクトでない数の名前として使われています。もっともこんなことに興味をもつのは、私だけかもしれません。
 
さて、長崎原爆投下から「アキレス数」の72年がたった今年、私たちは国連で「核兵器禁止条約」という「完璧ではないにしても、強力な条約」をもつことになりました。この条約は、
国連加盟193か国の3分の2近い国々が賛成した大変「パワフルな」内容の条約ですが、核保有国ばかりか、その拡大核抑止政策に囚われている被爆国・日本をはじめとする国々が参加していないという点では、今のところ「パーフェクト」ではありません。その意味では「アキレス条約」と言えなくもありませんが、
私は、この条約を実現させることに貢献した原爆被爆者や世界中のNGO、政府関係者、そして、この大会にも参加されている国連軍縮担当上級代表の中満泉(なかみつ・いずみ)さんらの努力を高く評価し、改めて敬意と謝意を表したいと思います。かつて私が「平和学」を担当していた立命館大学で同僚でもあった元・国連事務次長の明石康さんは、京都で開かれた軍縮関係の会議で、“An ideal today will become a reality tomorrow”(今日の理想は明日の現実となる)と述べましたが、核兵器禁止条約の採択は、被爆者をはじめとして60年以上に渡って原水爆禁止運動に取り組んできた多くの人々にとって、まさに「遠くにあるように見えた理想が目の前の現実として見えてきた」素晴らしい出来事であり、当世界大会国際会議宣言も、「核兵器禁止条約は、被爆者と世界の人々が長年にわたり熱望してきた核兵器完全廃絶につながる画期的なものである」と評価しています。
条約は、改めて、核兵器は「破滅的な結末をもたらす非人道的な兵器」であると規定し、核兵器の開発・生産・実験・製造・保有・貯蔵および使用とその威嚇の一切を禁止する抜け道のない原則を明らかにするとともに、まだ参加していない核保有国が将来条約に参加する道も用意する配慮も忘れませんでした。また、条約は、「ヒバクシャ」と核実験被害者の「受け容れがたい苦痛と損害」を心に留め、核兵器廃絶を推進する「市民的良心の役割」の担い手として明記したことは、「ふたたび被爆者をつくるな」と訴えてきた被爆者の活動を正当に評価したものでした。

世界には、いまだに約15,000発の核兵器が存在し、人類生存への脅威となっていますが、40年以上、この原水爆禁止世界大会運動に関わってきた私にとって、核兵器禁止条約は「志を同じくする者が力を合わせてまっとうな主張を世界に粘り強く働きかければきっと報いられる」ということを教えてくれる「希望の光」でもあります。

今から40年前の1977年、この国の原水爆禁止運動は運動の進め方や原発問題を含む個別課題に対する考え方をめぐって意見の対立を抱えていました。何とか状況を打開したいと考えた関係者たちは、前の年の2月に国連NGO軍縮特別委員会が開催を決議していた「被爆の実相とその後遺、被爆者の実情に関する国際シンポジウム」をそれこそオール・ジャパンで共同開催するために懸命の努力を払いました。
そして、この被爆の原点に立ち返った「人間の顔をしたシンポジウム」は、ノーベル平和賞受賞者のショーン・マクブライドさんやフィリップ・ノエル=ベーカーさん、後にノーベル平和賞を受賞したジョセフ・ロートブラットさんらも参加して画期的な成功を収めたのですが、私たちはその成果を踏まえて、翌1978年に開催された第1回国連軍縮特別総会(SSD-I)に日本から502名の統一代表団を送りました。私は広報担当の運営委員として参加し、5日間で13時間しか睡眠時間がとれない超多忙なニューヨークでの日程の後、宗教者・科学者チームの一員としてボストンの市民集会に臨みました。その時、日本から参加した僧侶が流暢な英語でこう訴えました。“Three years ago in 1975,we achieved the Biological Weapons Convention.Why not atomic bombs? Why not nuclear weapons?”(われわれは3年前の1975年、生物兵器禁止条約を実現した。なぜ原爆は禁止できないのだ、なぜ核兵器は禁止できないのだ?)

それから40年目の今年、私たちはついに国連での核兵器禁止条約の採択という歴史的瞬間を目撃するに至りました。今世界大会の国際会議宣言が提起しているように、私たちは、「核兵器禁止条約の調印開始日」である9月20日から、「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」である9月26日までの1週間、「草の根」からの多彩な行動を世界同時につなぐ「平和の波」を湧き起こすことを皮切りに、すべての国が速やかに核兵器禁止条約に参加し、核兵器の完全廃絶に取り組むことを求める世論を大きく発展させ、条約をいっそうパワフルに、そしてパーフェクトに近づけるために奮闘することが求められています。
とりわけ、日本の原水爆禁止運動に責任を負う私たちは、被爆国である日本政府が核兵器禁止条約への参加を拒んでいることについての失望を憤りに変え、核兵器禁止条約への加盟を「国政マター」として提起しなければならないでしょう。驚くべきことに、日本政府は、戦時における核兵器被害の辛酸を舐めた唯一の国の政府でありながら、「日本国憲法は核兵器の保有および使用を禁止していない」という
答弁書を閣議決定しています。
日本の安全保障をアメリカの「核の傘」に依存するという「核抑止政策」は、「核兵器によって戦争を防ぎ、核脅迫によって核戦争を抑止する」という考え方ですが、その危うさはつとに指摘されてきました。
かつて、国連事務総長報告でも、「核抑止力は、それが破綻する時まで機能するに過ぎない」と指摘されたことがあります。1週間前、長崎県の遊園施設でバンジージャンプのロープが切れる事故がありましたが、直前の検査でも安全であると判断されていました。
命綱はそれが切れるまで命綱であるに過ぎない─国連事務総長報告は、核抑止力はそれが機能している間だけ抑止力であるに過ぎず、いつ破綻するか分からないところにこそその本質的危険性があることを指摘したものです。私の友人であり、この世界大会にも参加したことのあるロバート・グリーンさんは、元イギリス海軍将校として核戦略にも関わった人ですが、1982年にイギリスとアルゼンチンのあいだで起こったフォークランド紛争で核抑止論の欺瞞性に気づき、後に『核抑止なき安全保障─核戦略に関わったイギリス海軍将校の証言』などの著書を通じて核抑止論を厳しく批判し、「核抑止政策は国家的信用詐欺」だと断罪しました。
核保有国の核抑止政策のもとで、イスラエル・インド・パキスタン・北朝鮮など、核兵器保有を追い求める国が続発してきましたが、自ら大量の核兵器を保有するアメリカ等の核兵器国がそれを批判しても、さっぱり説得力を持ちません。それは時には「ヘビー・スモーカーによる禁煙運動」とさえ揶揄されてきました。私たちが、これ以上の核兵器の拡散を防ぎ、現存するすべての核兵器を廃絶する道は、私たちが長い努力の果てに手に入れた核兵器禁止条約というパワフルな道具を有効に活かし、核兵器国やその同盟国の人々にも訴えかけて政策の変更を迫り、核兵器完全廃絶というパーフェクトな目標に向かって歩んで行く道しかないでしょう。

世界大会・長崎に参加された皆さん。私たち一人一人は、パワフルでも、ましてやパーフェクトでもなく微力かもしれませんが、いつも言うように、私たちは「微力」ではあっても決して「無力」ではありません。
その何よりの証拠が核兵器禁止条約を手にしたという事実の中に凝縮されています。0(ゼロ)は1億倍しても「0」ですが、1は1億倍すれば1億です。そこにこそ、全世界で2020年までに数億を目標に取り組まれている「ヒバクシャ国際署名」の力がありますし、単に結果だけでなく、そのような「1」を足し合わせる地道な活動に取り組むプロセスを通じて、周囲の人々に核兵器のない平和な未来を選び取る意義を訴え、支持を広げ、協同の輪を拡大していくことがとても大切だと思います。あのマハトマ・ガンジーは、「運命は私たちがつくるものだ。いまからでも遅くない。いまをどう生きるかで未来が決まる」(Fate is what we make . It is not too late now.How can you live in the now, the future is determined.)と言いました。
私たちは、私たち自身のために、そして私たちに続く未来の世代のために、悔いのない生き方を選び取りたいものです。今日から始まる原水爆禁止2017年世界大会・長崎の成功のために、
大会ご参加のみなさんが台風をものともせず、国際会議宣言を学び、互いに各地での活動の経験や意見を交わし合い、実りある大会にして頂くことを心よりお願いして、主催者としての報告と致します。

ありがとうございました。

コメント

  1. 記事読ませていただきました。
    京都に住む安斎先生には福島第一発電所の事故後からすぐに仲間5人で「福島プロジェクト」を立ち上げ福島に来て頂き少しでも放射能被爆を受けないようにとすぐに現場に来て指導してくれました。
    また幼稚園の父兄、仮設住宅、市民の皆様にも講座を開いて多くの方に勉強会に参加頂きお話ししてくれました。
    私も先生とは小高区、原町区の山沿いの地区が放射線量が高いことから希望する約30世帯の家を一緒にモニタリングを行い、その結果を毎回資料に纏めて頂き皆さんに配布と説明をして頂きました。

    安斎先生そして福島プロジェクトの皆さん本当にお世話になりました。
     20170823 Sato A

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