「年越し寿司」と「年越し蕎麦」

もうじき新年。
何年ぶりか、釧路の自宅で迎える新しい年だ。
今年は仕事の区切りが早くついたので、
安いチケットが手に入る24日に釧路に来た。
26日には妻も合流して、
久しぶりに二人でのんびりとした時間を過ごしている。
今年の冬はしばれが厳しいようで、
25日に幣舞橋を渡ると川面はびっしり蓮の葉氷に覆われていた。


ぼくは晩秋から厳冬期にかけての釧路が好きだ。
夕暮れどきの美しい街だと思っているが、
この季節は空気に透明感があって鮮烈さもひとしおだ。
陽が傾いてくると、
寒いなかカメラを携えて散歩に出るのが釧路での日課だ。


何年前になるだろうか、
夕張を年越しで取材しているときに、
行きつけていた寿司屋の主から「年越し寿司」の話を聞いた。
ほとんどの家庭が大晦日の夜に寿司の出前を取る、
だから寿司屋は大晦日が一年で一番忙しいというのである。
「年越し蕎麦」なら幼い頃から馴染みがあるが、
「年越し寿司」などというのはついぞ聞いたことがない。
夕張だけの“奇習”かと思っていたのだが、
釧路に戻ったおりに近所の「千歳寿司」の主に聞くと、
大晦日に寿司の出前を取るのは釧路も同じで、
北海道は何処に行ってもそういう習慣ではないかという。
前後17年間も北海道で暮らしていながら、
恥ずかしながら全くの初耳だった。
…そんなわけで、
我が家も今年は「年越し寿司」を出前してもらうことにした。
寿司好きの妻の希望もあるが、ま、話の種である。


なるほど、大晦日の夜を出前ですませてしまえば家事が楽だ。
楽すぎて、なんだか拍子抜けがするくらいだ。
もっとも、寿司屋が忙しすぎて、
握ってから出前まで時間がたっているせいだろう、
いつもと同じ寿司屋だが、いつもほどには旨くない。
大晦日にはネタの鮮度が落ちていることもあるのだろう。
やっぱり、
「年越し蕎麦」も食べねば一年の締め括りがつかない気がする。
幸い、釧路には美味しい蕎麦屋がある。
我が家のすぐ近所にも「竹老園」という有名店があるが、
ぼくら夫婦は「玉川庵」という店の蕎麦が好きだ。
「玉川庵」は牡蠣そばが有名で確かに絶品なのだが、
色の濃い太打ち、
いわゆる「田舎そば」の麺はもりで食べても滅法旨い。
「玉川庵」のある鳥取大通5丁目までは歩けば1時間半かかる。
バスを乗り継いで行くにも、便が少ないので不便である。
それでも、
この蕎麦を食べなければ新年は迎えられないと思って、
年越し用の生蕎麦を買ってあった。
つゆはペットボトルに入ったものをつけてくれるので、
茹でて、薬味にネギを切り、大根おろしを用意するだけである。
思えば「年越し寿司」も、「年越し蕎麦」も、
大晦日は家事をサボりたい無精から始まった風習かもしれない。
我が家の結論は…「年越しはやっぱり蕎麦に限る」。

航空運賃の安い日に移動しようというビンボー旅行だから、
明日の元日には東京に戻る予定だ。

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