火曜日から編集室に籠もっている。
「編集」はロケで撮影してきた映像をつないで息を吹き込む作業だ。
テレビ番組の制作過程のなかで最も楽しく、同時に辛い仕事でもある。
今回はローカルの25分番組とあって、
この10年ほど60分とか90分番組ばかり作ってきたぼくにとっては勝手が違う。
テレビの面白さは「行間」の部分にこそある、とぼくは思っている。
文字では何万語を費やしても語りきれない細部、
ある意味では“枝葉末節”にこそ映像でしか表現できない面白さがある。
ところが、短い番組では、
最低限必要な「情報」を語るだけで汲々として、
映像が本来持っている豊饒な細部を削ぎ落とさざるを得ない。
そうすると番組はすっかり痩せてしまい、骨と筋だけが残る。
極論すれば、細部を伴わない情報は、事実を単純化したある種の“嘘”だ。
今回の番組はテーマが原発事故(に伴う除染)なので、
語らなければならないことがたくさんある。
被災地(原発事故は疑いなく人災である)の苦悩はもちろんだが、
いまだに有効な対応策を打ち出せないでいる
国や東電の無責任さについてもぜひ触れたいと思っている。
それには、25分という時間はあまりに短すぎる。
30分に足りない5分は
どうせミニ番組やステブレ(番組のPRなど)で埋めるのだから、
番組の品質を最優先に流動的に対応してくれればよさそうなものだが、
なかなかそうはいかないのが現実である。
ま、これは番組制作者の詮ない愚痴だと思ってもらうしかないのだが…。
写真は南相馬市深野(ふこうの)地区の風景。
この家は空き家らしいが、屋敷林がなんともいい佇まいである。
深野地区では、先日、住民が総出で通学路の除染を行った。
いまは避難している子どもたちが
学校に戻って来られるよう願ってのことである。
除染の結果、確かに線量は下がったが、
一方で持って行き場のない放射性廃棄物が残されることになってしまった。
こうした矛盾を、なんとか丹念に伝えたいのである。
「編集」はロケで撮影してきた映像をつないで息を吹き込む作業だ。
テレビ番組の制作過程のなかで最も楽しく、同時に辛い仕事でもある。
今回はローカルの25分番組とあって、
この10年ほど60分とか90分番組ばかり作ってきたぼくにとっては勝手が違う。
テレビの面白さは「行間」の部分にこそある、とぼくは思っている。
文字では何万語を費やしても語りきれない細部、
ある意味では“枝葉末節”にこそ映像でしか表現できない面白さがある。
ところが、短い番組では、
最低限必要な「情報」を語るだけで汲々として、
映像が本来持っている豊饒な細部を削ぎ落とさざるを得ない。
そうすると番組はすっかり痩せてしまい、骨と筋だけが残る。
極論すれば、細部を伴わない情報は、事実を単純化したある種の“嘘”だ。
今回の番組はテーマが原発事故(に伴う除染)なので、
語らなければならないことがたくさんある。
被災地(原発事故は疑いなく人災である)の苦悩はもちろんだが、
いまだに有効な対応策を打ち出せないでいる
国や東電の無責任さについてもぜひ触れたいと思っている。
それには、25分という時間はあまりに短すぎる。
30分に足りない5分は
どうせミニ番組やステブレ(番組のPRなど)で埋めるのだから、
番組の品質を最優先に流動的に対応してくれればよさそうなものだが、
なかなかそうはいかないのが現実である。
ま、これは番組制作者の詮ない愚痴だと思ってもらうしかないのだが…。
写真は南相馬市深野(ふこうの)地区の風景。
この家は空き家らしいが、屋敷林がなんともいい佇まいである。
深野地区では、先日、住民が総出で通学路の除染を行った。
いまは避難している子どもたちが
学校に戻って来られるよう願ってのことである。
除染の結果、確かに線量は下がったが、
一方で持って行き場のない放射性廃棄物が残されることになってしまった。
こうした矛盾を、なんとか丹念に伝えたいのである。
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