またしても岩手…

きょうからまた岩手出張。
地元の診療所の無床化が決まった住田町の取材である。
東京はすっかりもう暖かいけれど、
岩手はまだ寒いかもしれないと思ってコートを持っていったのだが、結局、袖を通すことはなかった。
日本列島津々浦々…春である。

岩手は、新幹線が通っている一関、花巻、盛岡、二戸…は便利がいい。
ところが、ちょっとそこから外れて海岸側(あるいは山側)に出ようと思うと、突然不便になってしまう。
一ノ関で、その名も「ドラゴンレール大船渡線」に乗り換えておよそ2時間、陸前高田に着く。
住田はそこから…バスもないではないが本数が少ないので…タクシーを飛ばして25分というところか。
東京から一ノ関に行くのと一ノ関から住田までが、
時間距離で云えば変わらないというのは考えてみれば凄い。

住田では、無床化反対運動の事務局を担ってきた町役場保健福祉課の課長補佐の話を聞く。
町役場が県の施策に対する反対運動の拠点になっているわけで、これも考えてみれば凄いかもしれない。
この課長補佐が熱心な人で、
無床化に伴い退院を余儀なくされた10人の患者のその後の身のふり方をきちんと把握していた。
転院した人が4人(うち1人は転院後まもなく亡くなった)、
自宅や特別養護老人ホームに戻った人が6人…
課長補佐の案内で、自宅で嫁とともに寝たきりのお婆ちゃんの介護をしている86才の男性を訪ねた。
(耳の遠い方で、あまり話を聞くことはできなかったが…)
無床化される5つの診療所の地元はすべてまわったが、
最後に住田に来て、ようやく「無床化」がもたらす現実が人間サイズで見えてきた気がする。

親切な課長補佐の車に乗せてもらって、町内をまわる。
「昭和の大合併」で一町二村が一緒になってできたという住田は、
清流・気仙川(胴長を履いて川に入り、ヤマメを釣っている人たちの姿が散見された)に沿って、
谷あいにいくつかの集落が点在している農林業の町だ。
ぼくのルーツである島根県の奥出雲を思わせる、静かで佳いところだ。
合併当時(昭和30年)には1万3千人いた人口が、いまでは半分の6500人を割り込んでいる。

明日の取材の都合で一関まで戻って泊まる。
ホテルのすぐそばの居酒屋(喜の川)で、
一関の地酒「関山 地主町(純米吟醸)」に「磐乃井 大吟醸」、それに釜石の「浜千鳥 純米」を飲んだ。
好物のナマコなどのほか、「へ鯛」という鯛の仲間の刺身を食べたが、締まらない名前の割には旨かった。

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