桜日記

桜の季節になると何となく胸騒ぎがするのは、日本人に生まれたDNAのなせる技なのだろうか?ただし、花の下で宴会に興じる趣味はない。桜はどこか“死”を思わせずにはおかない陰の花だ。一人ほっつき歩いて、その陰気な美しさを愛で、写真を撮る、それだけである。

6日の木曜日、目黒碑文谷の藤原照康さんの店に研ぎに出していた包丁を受け取りに行った。
藤原照康さんは日本刀を鍛える刀工である。目黒の桜は満開だった。偶然だが、桜と日本刀とは如何にも右翼好みの美意識だ。


目黒川沿いの遊歩道は、最近、花見の名所として人気があるらしい。宴会は禁じられているようだが、大変な人出である。様々な国々の言葉が耳に飛び込んでくる。中国語がひときわ多いようだ。

翌7日(金)、千鳥ケ淵の桜を観に行った。ぼくはここの桜が一番好きである。お堀端の桜は陰々滅々として、凄まじいまでに美しい。


千鳥ケ淵の桜が美しいのは、すぐそばに戦没者墓苑があるからではなかろうか。


桜の樹の下には屍体が埋まっている!これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。(梶井基次郎「檸檬」より)

この日の夕方、新幹線で京都に向かった。妻が京都にある大学院で学ぶことになったが、あいにく問答無用の方向音痴であるため、放置しておくとアラスカあたりに行ってしまいかねない。だから、大学院までぼくが“護送”するのである。この夜は、二人で清水5条にある「櫻バー」で夕食。別に狙ったわけではないが、櫻(桜)である。何を食べても美味しくて安い、大変にいい店である。週末とあって、店は地元・京都の人らしい客でごった返していた。

8日土曜日。京都駅からJRで1時間の大学院まで妻を送る。その後はフリーなので、宇治平等院鳳凰堂を訪れることにした。


毎日のように(それと意識せず)見ている建物だが、実際に訪ねたのは初めてである。小雨模様のあいにくの天気だったが、春雨じゃ、濡れて参ろう…独りなのが残念だが月形半平太の心境である。

京都にもう一泊して9日の日曜日。駅前のキャンパスセンターで会合のある妻を送って、ぼくは任務から解放された。そのまま東京に帰っても詰らないので、これも初めての嵐山を訪れることにした。思えば京都には何十回も来ているはずだが、ほとんどが仕事絡みで「観光」にはあまり縁がなかった。

JR嵯峨嵐山駅に降りると、これまた大変な人出である。渡月橋に向かって歩いていると、天龍寺という寺があり桜がきれいに咲いている。あとで調べると世界遺産に指定されている寺なのだが、旅に際してほとんど下調べをしない性質なので、いつも行き当たりばったりである。


よさそうなので入場料500円也を払って境内に入ると、枝垂れ桜や三葉躑躅のほか、様々な花が咲き乱れて桃源郷を思わせる美しさ。


枯山水とはまた違う日本の庭園美がここに尽くされているのではないかとさえ思う。こういうところであれば、一日中でも居たいものだ。

午後の新幹線で東京に戻って、10日の月曜日は我が家の周辺を散歩。近所に素晴らしい枝ぶりの桜の古木がある。


荻窪界隈には武蔵野の名残りか庭に巨木のある家が多い。しかし、艶消しなのが電柱と電線で、甚だしく美観を損ねる。オリンピックに使う金があれば、電線の地下埋設を進めてほしいものだとつくづく思う。海外から東京にやってくるお客さんにとっても、その方が遙かに「おもてなし」になると思うのだが。

11日に冷たい雨が降り、東京の桜は散り始めた。12日の水曜日には、我が家から20分ほどの善福寺川緑地を散策した。


散り始めているとはいえ、ここの桜も大変に美しい。桜はどうやら水辺に似合いの花である。

きょう、14日の金曜日、釧路に移動。この地で桜(ヤマザクラ)が咲くのは5月の中旬、まだ一ヶ月ほど待たなければならない。釧路地方の桜の開花は北海道の北端・稚内より遅く、日本列島を北上してきた桜前線はここで消滅する。









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